こんにちは。ymtetcです。
前回の記事「『ヤマト復活篇』を「復活」させる方法 - ymtetcのブログ」では、『復活篇』をめぐって「私の観たい『宇宙戦艦ヤマト』」についてお話しました。ですが前回の記事は、どちらかと言えば「売る」ことを視野に入れながら考えたものでした。
今回は「売る」ことを一切考えず、ただ「私の観たい『宇宙戦艦ヤマト』」について語ってみたいと思います。他にもいくつかあるような気がしていますが、今日取り上げるのは三つのアプローチです。
〇「『宇宙戦艦ヤマト』の存在する世界」の未来を描く
まずはこれです。
我々の世界には、今の時点でアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が存在します。そして人類に何事もなければ、このまま時は進み、そのうち西暦2199年が訪れるでしょう。もしもその時、人類が危機に直面したら……どうなるでしょうか。
吾嬬竜孝さんの漫画『鉄腕アダム』の世界には『鉄腕アトム』が存在します。一方、『シン・ゴジラ』の世界に『ゴジラ』は存在しません。この二作品の文脈は全く異なりますが、「西暦」を舞台にしたフィクションを作る場合、その世界に他のフィクション作品が存在するかどうかは、作劇上ちょっとしたポイントになることがあります。
では、『宇宙戦艦ヤマト』の世界ではどうなのでしょう。もしも、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』が存在する世界の2199年に人類存亡の危機があったなら、その時人類はどんな選択をするのでしょうか。
このお題を作家に出すだけで、十人十色の物語ができると考えます。そしてこれは、我々と『宇宙戦艦ヤマト』の関係を問い直す物語になるはずです。「私たちにとって『宇宙戦艦ヤマト』とは何だったのか」に対する作り手の答えが、無意識のうちに反映される物語だからです。
〇さらばの続編
次にこれです。絶対に怒られる、だから誰かやって怒られてほしい。そんな無責任なアイデアです(笑)。
今ここで、「『宇宙戦艦ヤマト』の新作を作ろう」と考えてみましょう。
かつての『宇宙戦艦ヤマト』人気にあやかりつつ、かつ新しいファンも獲得できるようにフラットなところから始めたいな……と、多くの人が考えるはずです。それこそ私がこれまで書いてきたように、『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクか、『復活篇』か……と。そして、それを両立できる環境がほとんど残されていないことに気づきます。
ですが、ここである事実にも気づくはずです。もう一つの世界線でも『復活篇』を作ることができる、その事実に。
そうです。『さらば宇宙戦艦ヤマト』のその先に、新たな『宇宙戦艦ヤマト』を作ることも(道義的にはともかくシステム上は)不可能ではないのです。『YAMATO2520』が「代替わりする宇宙戦艦ヤマト」を描いたではありませんか。なら、三代目宇宙戦艦ヤマトが『さらば宇宙戦艦ヤマト』の次回作に登場したっていいのではないか……。
自分で書きながら、少し腹が立ってきました(笑)。これは一歩間違えば、いや半分以上は「『さらば』の冒涜」だと見なされるでしょう。『ヤマト2』も『2202』も冒さなかったタブーに、土足で上がり込むようなものです。
でも、こういう見方もできます。『さらば』の続編に登場する人々は、古代とヤマトのあの戦いを知っています。そして古代が願ったように、古代とヤマトの戦いを永遠に語り継いでいるはずです。そんな地球に、新たな危機が訪れたら?
その時、人類はどんな戦いをするでしょうか。あの古代の戦いを知る人類は、どうやって自分たちの未来を守るのでしょうか。
ここで、最初のトピックと全く同じ結論に至ることに気づきます。『さらば』のその後の世界を生きる人類は、『さらば』を観て現実世界を生きる我々そのものなのです。我々にとって『さらば宇宙戦艦ヤマト』とは一体何だったのか? 『2202』はリメイクとしてそれを問いましたが、もっとストレートにそれを問い直す物語があってもいいな、と思います。一種の研究としては、深い意味のある「冒涜」なのではないでしょうか。
〇逆算型リメイクの増産
なぜ『2202」は我々に「『さらば宇宙戦艦ヤマト』とは一体何だったの」を問う物語であったのか。それは『2202』が、『さらば』のラストシーンから逆算して物語を組み直したリメイクだったからです。
劇場映画の『さらば』をテレビシリーズに組み直した作品、という意味では『ヤマト2』も一種のリメイクなのですが、『ヤマト2』は『さらば』のラストから逆算して作られてはいません。いたのかもしれませんが、ラストが組み替えられてしまっているので、『さらば』のラストを世に問う物語としては意味をなさなくなっていました(そんな意図はそもそも持っていないはず)。
一方、『2202』で物語に登場する要素の多くは、『さらば』とは大きく形を変えながらも(福井さんなりに)『さらば』のラストシーンに繋がるように組み立てられています。そして、実際に『さらば』のラストシーンにまで物語を運び、それを最終話でひっくり返す構造をとっています。
形を変えて、かつての象徴的なシーンに辿り着くように物語を再構成する。これを今日は「逆算型リメイク」と呼んでおきましょう。
ちなみに『2199』も、続編のキャラクターや設定を先んじて登場させている点では逆算していることになりますが、物語上、『2199』単体ではそこまでの逆算は見られなかったので、今回は『2199』は含めないことにします。今後再検討すれば、「逆算型リメイク」としての側面が浮かび上がる可能性もあります。それこそ福井さんの注目する「真田の物語」は、旧『ヤマト』と比べてかなり早い段階から種まきがされていましたからね。
さて、「逆算型リメイク」とは一体どのようなものなのでしょうか。
先ほど『2199』は「逆算型リメイク」には含めない、と述べましたが、第一作『宇宙戦艦ヤマト』を「逆算型リメイク」で描くとすれば、第24話から逆算して組み立てる物語がその候補になってきます。つまり、「自分の身を守るために懸命に戦っていたら敵の星を滅ぼしてしまっていた」、そこで「人間は互いに愛し合うべきだということに気づいた」というあの第24話のラストシーンを最大限盛り上げるように全体を再構成するわけです。こうすると、我々にとって旧『宇宙戦艦ヤマト』第24話とは何だったのか、が否応なしに問われる物語になりますよね。
これは名シーンから逆算する方法ですが、逆転の発想があっても面白いのではないかと思います。例えば、今ではファンから批判を受けがちなラスト、『ヤマト2』(テレサの特攻)や『ヤマトⅢ』(あっさりキャラクターが死んでいく)のようなラストシーンを敢えて魅力的にする試みも、実験としては興味深いのではないでしょうか。例えば、土門・揚羽の死を「明日への希望」に繋がるものに転じることはできないか……や、あれを『さらば』に匹敵するものとして描けないか……など、色々な実験ができますよね。
『2205』は、私の思っていた以上に『新たなる旅立ち』に近いようです。今後のヤマトもその傾向が続くのであれば、旧作のネタを敢えて積極的に活かす手法もあっていいと思います。それは、よくも悪くも「我々にとって『宇宙戦艦ヤマト』とは何か」を問い直すことに繋がるのですから。
〇おわりに:『宇宙戦艦ヤマト』という人生
「FGT2199」様は『宇宙戦艦ヤマト』を「哲学のようなコンテンツ」と表現されました*1。私もその見方に全面的に同意します。
今やヤマトは一人一人にとっての歴史であり、経験であり、記憶であり、人生なのだと思います。他者ではなく自分自身なのです。ここに、「FGT2199」様のいう「哲学」という言葉が当てはまってくるものと思います。
このような状況の中では、もちろんファンの世代交代は重要なのですが、同時に、本気でヤマト世代・旧『宇宙戦艦ヤマト』と向き合う新『宇宙戦艦ヤマト』があってもいいと考えます。
今回提示した三つの『宇宙戦艦ヤマト』は、いずれもそのことを意識したものです。
フィクションの娯楽作品でありながら、言外にそれを問い直すような物語……我々が大なり小なり「ヤマトファン」として生きてきた人生を見つめ直すような新作を作ることができたなら、『宇宙戦艦ヤマト』はまた一歩コンテンツとして成長できると私は考えます。
〇雑談
以下は雑談です。
先日掲載したこの検索を眺めていたところ、小原篤さんの試写会ツイートが追加されていました。映画『ヤマトという時代』の感想をネタバレにならない程度に述べたものですが、やや批判的な論調なのが注目されます。
そもそも試写会に参加する人は、基本的に招待されて参加します。ですから、その感想ツイートは作り手に気を使った”お世辞”になりがちです。それだけに、率直に観て感じたことを公表したところには、小原さんのアニメーションを論じる人間としての矜持を感じますね。それと同時に、そんな小原さんをきちんと招待している製作委員会サイドも「分かってるな」と思いますが。
調べてみると、『2199』時代から試写に招待されていたようです。また、『2199』がお好きだったようで、『2202』第二章にも(試写会ツイートとしては)厳しい指摘をされていました。
「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち第二章 発進篇」試写を見た。前章よりノリというか熱量は高まっていると感じたが、ストーリーが無理やり過ぎる。新たな設定に起因するのだが、もう少しどうにかならないものか。ガミラスの青年キーマンとヤマトクルーたちの掛け合いは面白かった。
— 小原篤/アニマゲ丼 (@botacou) 2017年5月30日
是非とも『2205』でも、同じように感想を聞きたいものです。愛を持って批判する人間がいてこそ「試写」の意味があるというものでしょう。(『2202』時代からそうだったのですから今更問題になるとは思えませんが)小原さんが今後とも試写会に招かれるよう、願っておきたいですね。