ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

感想:第9話『スターブレイザーズΛ』メモ

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、『Λ』第9話の内容整理を行いました。今回は第9話の感想を述べていきます。

ryukoazuma.fanbox.cc

いつもは後から読むようにしているのですが、今回はつい吾嬬さんの「制作メモ」を先に読んでしまいました。そこで驚きました……ミフネ回だったのか!と(笑)。

〇「ミフネ回」と『鉄腕アダム』

前回整理したように、今回の内容は「AI艦隊着任問題とナーフディス解散問題、スタン博士とカルロス司令の対面、ミフネたちのAI論議ニルヴァーナの会議、スタン博士とアレクセイ、アイシャと『いのち』、ユウの夢、AI艦隊の戦い」からなります。

その中で、一番主人公らしい振舞いをしていたのは誰か、と考えた時、私はアイシャだと感じたのです。すなわち、今回はパッと見ミフネやAI艦隊がメインになっているけれど、実はアイシャの物語の前振りで……と。そこまで難しく考える必要はなかったようですね。

なお、「制作メモ」で吾嬬さんは「今回はとても簡単に制作できた」旨を述べています。これは、吾嬬さんが『鉄腕アダム』で同様のテーマを十分に掘り下げた経験があるからだと思います。

『鉄腕アダム』の主人公は、感情を持つヒューマノイドであるアダムです。その物語の途中、AI脅威論者のマッカラム博士が現れ、彼の作ったプルートウと呼ばれる「感情を持たない」ロボットが、アダムの地位を脅かそうとします。しかし、プルートウにもまた「心」があり……というのが筋書きでした。

『アダム』のプルートウ回では、どれだけ「感情」を排除するようにプログラムしても、どんなにロジカルな思考プロセスを経ていたとしても、主体的に判断を下す以上はそこに「心」があるのだ、ということも語られていたと考えています。それはどこか、今回のミフネの「意志決定をするための感情もあるはず」とのセリフにも活きているような気がしますね。

『Λ』のミフネ回が、『アダム』のプルートウ回と同じ筋書きを辿るのかどうかは分かりません。「いのち」が今回のテーマだとすれば、『アダム』のプルートウ回とはやや異なるのかもしれません。しかし、AIを中核のテーマにした『アダム』を完結させている吾嬬さんは、AIをテーマにした物語を描く準備はもう既に十分できていたわけです。それが、今回の制作を「簡単」にさせているのだと思われます。

〇アイシャと「いのち」

さて、今回の主人公だと私が勘違いをしていたのがアイシャでした。とはいえ、制作メモを読む限り、アイシャ回は今後あるとのこと。広義では、今回はアイシャ回の前振りではあったのでしょう。

今回のアイシャのセリフを抜粋すると、以下の通りです。

「子供も大人も同じ命に変わりないわ 年齢なんて関係ない たとえ危険なミッションだとしても私は人の命を守りたい」「だから私たちはここにいるのよ」

「どんな理由であれ自らを傷つけるなんてことをしてはいけない そんなの自己犠牲でもなんでもない」「いのちはそんなことで捨てていいものではないの」「動物ならそんなことみんな知ってる 知らないのは人間だけよ」

獣医を両親に持つアイシャの人生には、いつも「いのち」がそばにありました。それがアイシャの今と、これからの選択を決定づけているようです。

〇今回の艦隊戦

奇数回で艦隊戦が描かれるのは珍しいことです。今回が初めてではないでしょうか。ただ、これを艦隊戦と呼べるのかは疑問ですが……。

AI艦隊の戦い方は、これまで「人生=個性=戦い方」のトライアングルを作ってきた『Λ』では異質なものとして描かれていたと思います。ただ、人も情報であり、AIも情報であるならば、AIの戦い方にも個性が生まれるというものでしょう。AIがなぜヴィマーナを襲うのか。それは、単なるシステムのエラーではないかもしれません。

今回の戦いを見て気になったのが、セイレーネスは学ぶのか? という点です。『鉄腕アダム』の「蝶」は、その進化の速さもまた特徴的でした。セイレーネスも「いのち」であり、情報ならば、セイレーネスもまた「学ぶ」のではないでしょうか。その点において、今回毒ガスを用いたことが、今後のセイレーネスのあり方にも繋がる可能性も否定できません。スタン博士は数話で退場するものと思いますが、彼とAI艦隊の存在が、『Λ』に何を残すのかは注目ですね。

〇感想

前回の記事が内容整理にとどまったのは「作業時間の関係上」なのですが、なぜ「作業時間」がそんなことになっているかというと、記事を書く過程でずっと『鉄腕アダム』を読んでいたからなんです(笑)。繊細かつ大胆で伏線の回収もスマート。キャラクターも魅力的。テンポの良さと次回への引きの巧さもあって、読み始めるとなかなか止まらず、第1巻から第4巻まで読んでしまいました。

『アダム』のラストは、もしかしたら望んだ形そのままではなかったのかもしれませんが、『アダム』の筋書きとしてはこれ以上ないラストであったと思います。そしてそこでは、AIから見た、人の「いのち」のあり方も描かれていました。永遠に生き続ける存在は「いのち」なのか? 『アダム』の最終巻が手元にある方は、「制作メモ」にあったこの問いを踏まえて、もう一度最終巻を読んでみてください。吾嬬さんが「いのち」について、ずっと考えていたことがよく分かると思います。

ミフネ回は、「マンネリだから」との理由で作られたのだそうです。ただ、推測でしかありませんが、編集さんもまた『アダム』が好きだったんじゃないかな? と思います。『アダム』を作った吾嬬さんが、『スターブレイザーズΛ』という新しいフィールドで、AIや「いのち」をテーマに何を描くのか。自分が編集の立場だったなら、リクエストせずにはいられないと私は思うのです。