ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト復活篇】「地球滅亡」という試み

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、『2205』でガミラスが滅亡する可能性に言及しました。そこで想定したのはあくまでガミラス星の滅亡であり、ガミラス人やガミラス帝国の滅亡ではありません。

同じように、地球が滅亡することと、地球人類が滅亡することは異なります。前者は必ずしも後者を意味しないですし、後者もまた前者とイコールではありません。今日は、この微妙な違いを中核に据えた映画『ヤマト復活篇』の試みを再評価してみましょう。

〇自覚的だった『宇宙戦艦ヤマト

そもそも宇宙戦艦ヤマト』は、第一作からそのことに自覚的でした。

人類脱出船として建造された宇宙戦艦ヤマトは、イスカンダルの技術を得て「地球を救う使命を帯びて戦う」船へと作り直され、旅立ちます。単に人類を生き延びさせるためだけの船だったヤマトは、地球をも救う船へと変化したのです。

一方、各話ラストのカウントダウンで、『宇宙戦艦ヤマト』は「人類滅亡まであと〇日」との表現を用いていました。地球を救うことと人類を救うこととの違いは、既に意識されていたと言えます。

ですが、その両者の違いが物語の中核に据えられたわけではありませんでした。それを初めて中核に据えた作品こそ、『ヤマト復活篇』だったのだと考えます。

〇『復活篇(「地球滅亡版」)』あらすじ

今日は、「地球滅亡版」として知られる『復活篇DC』を題材に考えてみましょう。

まずはあらすじを振り返っておきます。

西暦2220年、移動性ブラックホールの脅威に直面した地球は、友好国アマールへの人類移住を目指しました。ですが、それを阻もうとする星間国家連合の攻撃に晒され、移民船団は大打撃を受けました。そこで、第三次移民船団の護衛艦隊旗艦として、宇宙戦艦ヤマトが復活します。ヤマトは星間国家連合の攻撃を退け、移民船団の護衛に成功しますが、移動性ブラックホールの脅威から地球を救うことはできませんでした。地球はブラックホールに飲み込まれ、銀河中心部へと消えていきました

これが、「地球滅亡版」と言われる『復活篇DC』のストーリーです。

〇「俺たちは負けたんだ」

『復活篇DC』で地球が飲み込まれる直前、古代はこのような言葉を口にしていました。

古代:人間は今、一番大切なものを失おうとしている。この時になって、初めてそのことに気づいたんだ。これまで人間は、地球にどんな態度をとってきたか。奪い、壊し、荒らし、作りかえ……万物の霊長などと思い上がってきた。巨大な宇宙のスケールから見れば、取るに足らぬ大きさの災害がやってきただけというのに。地球を救ってやることもできない。無力なものだ。結局、俺たちは負けたんだ。新しい移住地というのは、やり直しのチャンスを与えられたに過ぎないのだ。

移動性ブラックホールという災害にあって、地球は滅亡する。人類はそれを防ぐことができず、ただ移住先へと逃げることしかできない……。

古代はそれを「負け」と表現します。ヤマトは人類を守れても、地球を守ることはできなかったのです。宇宙という大自然の前に、人間は無力なのだ……古代は、そう語りかけます。

地球がブラックホールに飲み込まれる直前、地球に生きる動物たちと、わずかに残り、大空へ祈りを捧げる人々の姿が描かれました。動物たちは大自然の摂理と運命を共にする存在として描かれ、同じような道を自ら選んだ人々も描かれたわけです。

動物たちが描かれるあの場面が「ヤマトらしくない」と言われたこともあったと記憶していますが、その一方で、『復活篇』の本質を最も端的に表した場面なのだと思います。人間もまた自然の一部だということに、気付いている人もいる。でも、大半の人はその事実から目を背けて逃げてしまう(生き延びようとしてしまう)のだ、と。『復活篇』はそれを否定するでも肯定するでもなく、ただ静かに描いていくのです。

〇新『宇宙戦艦ヤマト』最初のメッセージ

人類の幸福を追求することは、必ずしも地球を守ることに繋がらない。

それは現代の社会が慢性的に抱えてきた課題です。特に「環境問題」として注目されてからは、より広く社会で論じられ、改善の試みられる課題となりました。

幾度となく人類を、地球を救ってきた宇宙戦艦ヤマトが復活したのに、そして、またもヤマトが人類の危機を救ったのに、地球だけは救えない……。この筋書きは、これまでの『宇宙戦艦ヤマト』にはなかった、それでいて現代社会においてはごくごく当たり前のことを述べている筋書きです。裏を返せば、これまで『宇宙戦艦ヤマト』が描いてきた「ヤマトが地球を救う」という筋書きと、「人類の幸福は必ずしも地球の幸福ではない」とする現代社会の常識には、微妙にズレが生じていたのです。この筋書きは、現代社会に蘇った『宇宙戦艦ヤマト』の第一の矢として、『宇宙戦艦ヤマト』と現代社会のギャップを埋めるために用意されたものだったのかもしれません。

公開時には呆れるしかなかった「第一部 完」の文字が、『復活篇DC』では違って見えた……という話をよく聞きます。氷川竜介さんも同じようなことを述べておられます。それはきっと、「地球滅亡」というストーリーが、新たな『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの最初のメッセージとして、うまく作用していたからなのだと私は考えます。

〇大人の事情は恐い

なお、いわゆる「無印版」では、地球が飲み込まれる直前、敵の首領が突然現れて移動性ブラックホールが人工物であると明かし、ならばと宇宙戦艦ヤマト波動砲で応じて、地球は救われました。このシナリオを考えた人はかなり追い込まれていたのだと思います。映画のテーマを根底から覆すような設定変更ですからね。苦肉の策であったことは重々承知していますが、本来の『復活篇』が持っていたメッセージ性から考えれば、本当に残念な設定変更でした。

大人の事情とは、恐ろしいものです。