ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

第11話『スターブレイザーズΛ』メモ

こんにちは。ymtetcです。

『Λ』の第11話「ハッピー・ハロウィン」が公開されたので、感想を書いていきます。

comic.webnewtype.com

ところで、最近は『Λ』(『スターブレイザーズΛ』)と『Δ』(『マクロスΔ』)に同時並行で触れています。読み方が全く異なることが救いですね(笑)。

〇内容メモ

第11話冒頭では、アビーとアレクセイ、ミフネの会話を通じて、前話のラストを説明しています。プロトタイプミフネはAI艦隊と共に外宇宙へと旅立ったといいます。

とはいえ、これは本題ではありません。アレクセイの話の本題はセイレーネスの謎について、でした。アレクセイの口から、セイレーネスとトップネスは「時空結晶体にアクセスできる」点で共通していることが示唆されます。

物語のサスペンス感が高まったところで、その空気と対比するように、トップネスたちが仲良くアレクセイの部屋へやってきました。その後、トップネスたちは二人きりで(ミフネもいるが)過ごしていたアビーとアレクセイについて、噂話をします。コメディタッチですが「アビーとアレクセイは二人で行動している」ことがトップネスの共通認識になった場面でもあります。これは、今後にも繋がりそうな要素だと思います。

その頃、アレクセイはリンネを呼び出していました。アレクセイは、リンネの正体について話します。

リンネの義理の父・アイギス博士はある病院の創設者である。カーディナス(ニルヴァーナの議長)はもともと石油メジャーの御曹司で、アイギス博士の病院に資金を流していた人物である。アレクセイはユーリ・レトヴィザンの息子である。リンネは隠ぺいされたファーストトップネスである。絵を見る限り、リンネ・マヤ(ユウの母)・ユーリ(アレクセイ父)の三人は顔見知り。アレクセイの父の遺言は「時空結晶体のオリジナルを破壊しろ」だった……。

アレクセイはニルヴァーナへの復讐を画策しているのでしょうか。アレクセイはリンネに協力を求めると、リンネは協力する交換条件として、アレクセイにマークXニルヴァーナの本拠地)の所在を調べることを求めました。

その頃、ニルヴァーナではアレクセイに対する警戒が高まっていました。ニルヴァーナの謎を追う彼の行動を止めるため、彼らは見せしめとしてスタン博士を消します。このミッションで活躍している謎の男は、今後何かの出番がある可能性もありますね。

〇振り返り

サスペンスドラマとトップネスの日常を対比的に描いている点が、第11話の特徴と言えます。

さて、ここまでの『Λ』を振り返ってみると、アレクセイは常にセイレーネスの謎とニルヴァーナを追っており、戦闘回以外ではほぼ毎回メインキャラクターになる存在です。アレクセイの父が6年前に死んだのだとすれば、彼の境遇はユウのそれとよく似ていますアレクセイはサブ主人公的な役割を与えられているのかもしれません

第11話に話を戻しましょう。構成としては「前話の解説→セイレーネスの謎とトップネスの真実→トップネスの日常→ニルヴァーナの闇とリンネの謎→アレクセイとの駆け引きを始めるニルヴァーナ」と展開されています。

私は今回、『Λ』が読者の視線をどのように誘導しようとしているか、を意識して読んでみました。というのも、一般的にこの視線の誘導がうまくいかない場合、物語は作り手から一方的に読者に投げかけられるものになってしまい、必ずしも読者のものになっていかないのではないか、と考えているからです。

読者である私自身の視線を振り返ってみると、私の視線は前話のラストから続く冒頭部の会話、それをトップネスの話題に展開したところでトップネスが乱入、そこからトップネスの日常(ハロウィンイベント)へと移行していました。ここでは、読者の視線も断絶するはことなく、一続きの場面として描かれていることが分かります。

しかし、トップネスの日常からアレクセイとリンネの会話に移行させる部分は、その意味でいくと難しい場面でした。全く別のところで行われている会話ですし、既に読者の視線はトップネスたちに向いているので、物語がここで断絶してしまう恐れもありました

ですが、ここには一つの工夫があったのではないかと思っています。先にトップネスのハロウィンイベントを描いた際、リンネは描かれていません。そこが、シーンの展開に伴う視線の流れの断絶を軽減させていると考えられます。すなわち、あの日常シーンにリンネが不在であることそれ自体が、次のシーンへの繋ぎの役割を果たしているのではないでしょうか。

ところで、今回はこれまでの『Λ』の良さの一つでもあった「次回への引き」があまり強くないと感じました。その要因は、サスペンスドラマに一区切りがついていることにあると私は考えます。

これまでの『Λ』のように「引き」を強くするなら、スタンを消すことに決めたニルヴァーナの会議は描くべきではありません。あくまでアレクセイに視点を集中させ、スタンが消されたことに対するアレクセイの考えを述べたところでコンティニューとし、ニルヴァーナの会議は次回の冒頭に回しておくべきだったと思います。

そんな中で、『Λ』がそうしなかったのは、アイシャの主人公回にサスペンス感を引き継がないための判断だったのではないでしょうか。第12話を、ニーナ回だった第7話のように、徹頭徹尾「アイシャの物語」として描くとすれば、ニルヴァーナやセイレーネスの謎といったサスペンス要素は人間ドラマのノイズになってしまいます。そこで、サスペンス要素については第11話でひとまず区切りをつけておいたのかもしれません。

〇おわりに

偶数回に戦闘、直前の奇数回にその前振り、というルーティンで物語を進めている『Λ』は、ワンパターンに陥らないような工夫が随所に見られます。今回は、複数のサスペンス要素を一話でまとめたことが、その工夫だったと思われます。

もし、全体におけるサスペンス要素の占める割合が大きかった『アダム』なら、今回のようなサスペンス的な急展開は複数回に分散させていたと思います。そうしなかったのは、各回に主人公を設定して人間ドラマを描く『Λ』ならではの判断かもしれません。

上にも書いたように、サスペンス要素はノイズになってしまうこともあります。キャラクターの配置やシーンの構成が、読者からどう見えるか。ついつい忘れがちなことですが、大切にしたい視点です。