ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

2199ファン的視点から見る『ヤマトという時代』のいいところ

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマトという時代』は、来たるべき『2205』にむけて、『2199』と『2202』の情報を整理する役割を果たす映画でした。

そんな『時代』のいいところとは、どこにあるのでしょうか。

今日は「2199ファン」的な視点から、これについて考えてみます。

2199ファン的視点から見る、『ヤマトという時代』のいいところ。それは、この映画が『2202』のテーマを”分かりやすく”解説するものである一方、『2199』のテーマは簡単に触れるのみであったところです。

どういうことか。『時代』には、『2199』と『2202』双方の内容が含まれています。しかし、『2199』のテーマである「相互理解」については、古代守の言葉を引用しているだけ。少なくとも、ドラマとしてじっくり描きだそうとはしていません。一方、『2202』のテーマである「現実に裏切られたごく普通の人間の物語」「人間性=愛の存在を肯定する物語」は、『時代』では色濃く描き出されていました

ここには、果たしてどのようなメリットがあるのでしょうか。

まず観客は、『時代』を見れば『2202』の物語を存分に楽しむことができます。しかし、必ずしも『2199』の物語を存分に楽しむことはできません。というより、『2199』の物語を余すところなく楽しめるようには設計されていません

つまり、『時代』だけでは『2199』は「食い足りない」状況なのです。

ゆえに、『時代』を経ても『2199』は依然として価値を持ち続けます。『時代』があるから『2199』は観なくていいや、とはならないのです。むしろ『時代』で描かれた『2199』前史によって、『2199』は改めて観なおしたくなるようなポジションに押し上げられたのではないか、とまで考えます。

その意味で『時代』は、『2202』を「観なくていい」存在にしつつ、『2199』は「もう一度観直したくなる」存在にしたという点で、私の心の中に住む「『2199』ファン、『2202』にはひとこと言いたい」な私を頷かせる映画だったと言えます。

それでいて、心の中に住むもう一人の「『2202』ファン、『2199』は物足りない」な私にもある程度納得のいく内容だったわけですから、少なくとも私にとっては、バランスのとれた良作だったと言えるのではないでしょうか。