ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【アクエリアス・アルゴリズム】二人の古代進を繋ぐ方法を考えたい

こんにちは。ymtetcです。

今日は、『ヤマトマガジン』で連載され、書籍として発売されることも決まっている小説『アクエリアスアルゴリズム』のお話をしていきます。

この作品は、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』と『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を繋ぐ作品として位置づけられています。舞台は旧作世界線の西暦2215年。『完結編』から12年後、『復活篇』の5年前にあたります。ここで、古代進たちとディンギル残党の戦いを軸に、たくさんの物語を展開していくのが『アクエリアスアルゴリズム』です。

さて、私はこの『アクエリアスアルゴリズム』、そしてこれに続くかもしれない『復活篇』の前日譚たちは、「二人の古代進」を繋ぐ作品であって欲しいと考えています。ここでいう「二人の古代進」とは、『完結編』までの富山古代と、『復活篇』からの山寺古代です。

『復活篇』で38歳の古代進を演じた山寺宏一さんは、かつてPS版の古代を演じた時のような、富山敬さんに寄せた演技をせず、山寺さんの普段の演技に近いスタイルをとっていました(これは西崎監督のリクエストだった、という説もあります)。結果、山寺さんの演技はよかったのですが、キャラクターデザインの大胆な変更も相まって、『完結編』までの古代と『復活篇』の古代に連続性を感じることが、とても難しくなっていると思います。

 

ですが当然ながら、『完結編』の古代進と『復活篇』の古代進は、公式解釈では同一人物です。いくらファンが「『復活篇』の古代は認めない」と主張したとしても、公式解釈ではあくまで同一人物であり続けます。例えば、第一作のイスカンダルで「地球へ向けて出発!」と叫んだ古代進と、『復活篇DC』のラストシーンで「地球へ向けて出発!」と叫んだ古代進は同一人物なのです。これは、意識しておかなければ忘れてしまいそうになる事実だと思います。

もちろん、富山古代と山寺古代に”違い”を感じることは悪いことではありません。それだけ富山さんの古代がよかったということですし、山寺さんが与えられた役割をしっかりと全うしたということでもあります。そもそも演じている古代の年齢が違うのだから比較対象にはならない、との指摘も可能でしょう。

何より、むやみに同一視を進めることによって、富山さんや山寺さんへのリスペクトを欠いてしまうようなことは避けなければなりません。富山さんは、声質が似ているからといって替えの効くような声優ではありませんし、山寺さんは富山さんのモノマネをするだけの声優でもありません。

しかし、ひとつの時間軸、ひとつの世界を標榜するシリーズ作品として、特定のキャラクター像が個別の作品ごとにバラバラなのは、決していいことではないでしょう。富山古代と山寺古代は違う、でも、キャラクターとしての古代進は一人である。そう皆が思えるような、絶妙なバランスを見つけることが必要ではないでしょうか

その中で、『完結編』と『復活篇』を繋ぐ小説である『アクエリアスアルゴリズム』が持っている意味は、とても大きいと考えます。

まず大前提として、『アクエリアスアルゴリズム』の世界観は『完結編』の世界観をベースとして、その上に『復活篇』から逆算した要素を盛り込む形で作られています。これにより、ごく単純な意味で、本作は『完結編』と『復活篇』の世界を結びつけることに成功しています。まずはこれがなければ、キャラクター以前の問題です。

そして、これが今回の記事の結論ですが、『アクエリアスアルゴリズム』は小説です。すなわちここには、富山古代も山寺古代もない、ただ一人の「古代進」というキャラクターが登場しています。これこそ、本作最大のポイントだと考えます。

例えば、アクエリアスアルゴリズム』の古代進のセリフを、脳内で富山古代に置き換えてみます。違和感はあるでしょうか、ないでしょうか。次に、山寺古代にも置き換えてみます。違和感はあるでしょうか、ないでしょうか。その理由はなんでしょうか。

こうした思考実験の先に、『アクエリアスアルゴリズム』だけでなく、今後の様々な作品において『完結編』と『復活篇』、あるいは富山古代と山寺古代のギャップを埋めるためのヒントが隠されていると考えます。すなわち作中の古代進は、富山さんの声であっても山寺さんの声であっても違和感のない存在にするこれこそが、偉大な二人の声優によって声を与えられた「二人の古代進」を、劇中世界の「たった一人の古代進」に変換していくための最短ルートだと考えます。簡単なことではありませんが、急がば回れ、ですね。