ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【アクエリアス・アルゴリズム】物語の”軸”は「アクエリアス」

こんにちは。ymtetcです。昨日はオールナイトニッポンでTLが祭りになっていましたね。楽しかったです。

 

さて、今日は『アクエリアスアルゴリズム』の話をしていきます。私は以前、9月26日の記事「【ヤマト黎明篇】『アクエリアス・アルゴリズム』とは何か?」で、本作を「物語の軸が少しだけ、曖昧」だとして、そこが「弱点」であると述べていました。

これは連載版に対する私の感想なのですが、実は、書籍版はこの「弱点」を見事解決していました。具体的には、先月26日の記事でも紹介しているように、古代と沖田の回想(『完結編』)を冒頭に移動させたこと。これにより、本作の軸が明確化されたと考えます。

ところで、私は先月26日の記事で、古代進と沖田艦長を軸に『アクエリアスアルゴリズム』を読み解いてはどうか、と提案しました。ですが、連載版を読んでいた時に、私は読み間違えていたように思います。『アクエリアスアルゴリズム』の軸は、そこだけにはないのです。

では、『アクエリアスアルゴリズム』の軸はどこにあるのでしょうか?

〇タイトルに答えがあった

遅まきながら、私は書籍版を通読して本作の軸にようやく気付きました。

アクエリアスアルゴリズム』は、「誰誰が〇〇をする」物語ではない。この物語は、アクエリアス氷球を舞台に、「アクエリアス」に囚われた人々のドラマが、ある一点に収束していく物語。

つまり、群像劇なのです。

私がなぜ、「物語の軸が少しだけ、曖昧」と感じたのかは明白です。私は人間やメカにしか注目していませんでした。だから、中核となる人間がいるようでいない『アクエリアスアルゴリズム』に、戸惑っていたのでした。

ですが、『アクエリアスアルゴリズム』を一冊の書籍として通読すると、本作の軸は特定のキャラクターやメカにあるのではなく、アクエリアス氷球という舞台にあることが分かりました。

そこに思い至って、私はようやく気が付いたのです。何気なく読み過ごしていた本作のタイトルに、しっかりと「アクエリアス」の6文字があることを……(笑)。

以下は「アクエリアス」を軸に、『アクエリアスアルゴリズム』を簡潔に読み解いてみましょう。

〇「アクエリアス」に囚われた人々

まず本作には、「アクエリアス」に囚われている三つの勢力が存在していました。

一つは古代たち旧ヤマト乗組員と、その家族です。特に古代進にとってヤマトは故郷に等しく、そこに眠る沖田さんは父に等しい。そのどちらも、「アクエリアス」に散った存在でした。

もう一つが、ディンギル帝国の残党です。彼らにとって「アクエリアス」は、自らの母星を破壊した元凶の惑星であり、自らが生き残りをかけて地球への移住を進めようとした際の兵器であり*1、自らが大敗したあの戦いの象徴でもあります。だから彼らは「アクエリアス」で、かつてディンギルを滅ぼした地球への復讐心を燃やしているわけです。

そして最後に、『完結編』でアクエリアスが導いた戦いの連鎖が、不幸な形で縁を結んでいる勢力……《氷華》の面々が重要な役割を果たします。《氷華》乗組員たちは、ディンギル残党に復讐すべく、「アクエリアス」で息を潜めていました。

〇本作を象徴する一節

一人一人は細い糸だ。だがその糸は、導かれるように折り重なり、傷ついたヤマトを包み込む繭となっていく。今再び、命が羽ばたくときが訪れるのか――

(高島雄哉著、アステロイド6協力『宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 アクエリアスアルゴリズムKADOKAWA、2021年、301頁。)

この一節は、私が最も「『アクエリアスアルゴリズム』らしい」と感じた一節です。一人一人が導かれるように折り重なっていく。これはまさに、『アクエリアスアルゴリズム』が積み上げてきた群像劇そのもの。そして、積み上げてきた物語の行きつく先は、「復活」をモチーフとした、極めて「ヤマトらしい」ものでしたよね。

〇『アクエリアスアルゴリズム』とは……

私は『アクエリアスアルゴリズム』を、アクエリアスディンギルに後ろ髪を引かれるような思いを抱えて生きてきた人々が、その鎖から解き放たれていく「解放の物語」だと考えています。

アクエリアスアルゴリズム』のラストシーンには、言語化することが難しい、清々しさと寂しさが同居したような感慨がありました。その背景にあるものこそ、登場人物たちのアクエリアスからの「解放」、「別れ」なのではないでしょうか。

今日は具体的に記述することを避けますが、旧ヤマト乗組員、ディンギル帝国残党、《氷華》乗組員。この三つの勢力の強い想いが交錯し、最後にはどの勢力も、そこに大切な思いだけを残して「アクエリアス」を去っていく。

これが、『アクエリアスアルゴリズム』の軸なのだと考えます。

 

なお、古代と沖田のやり取りが冒頭に移動したことで、何が変化したかも言及しておきましょう。

連載版の冒頭は、ベルライナ事件の悪夢にうなされる古代進の描写が配置されていました。ベルライナ事件は古代の変わらぬパーソナリティを語る上で必須のエピソードなのですが、「アクエリアス」という今回の軸に直結するものではありません。それだけに、古代と沖田、そしてアクエリアスの物語が冒頭に移動したことで、「アクエリアス」という本作の軸が明確になったと考えています。

 

 

*1:そもそも自国を滅亡させた惑星を利用して他国を滅亡させようとするあたり、ディンギルの発想というか、執念は恐ろしいですよね。そしてそれは、本作にもしっかりと受け継がれています。