こんにちは。ymtetcです。
『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』前章は、前後編の前章でありながら満足度の高い映画になっていたと考えます。もちろんそれには複合的な理由があり、それこそ、身も蓋もない話をしてしまえば福井さんが導入の得意な作家さんだから……という考え方もできますが、今日は土門と古代をめぐって考えてみたいと思います。
具体的に内容へ言及はしませんが、ある程度の枠組みや流れについては言及するので、予めご注意ください。
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結論から言えば、前章が満足度の高い「映画」として成立していたのは、土門と古代の”出会い”のドラマが完結していたからです。土門は父親をめぐって、古代に対し屈折した思いを抱いてヤマトに乗り込みました。そしてヤマトでもがきながら、最後は古代の言葉に元気よく「はい!」と頷くに至る。綺麗なドラマですよね。
このような「ツン→デレ型」の形をとる物語は、世の中にありふれています*1。皆さまそれぞれ頭に浮かんだ作品で考えていただければいいのですが、私の知るところでは、京アニ制作の『Free!』がこの「ツン→デレ」型です。ちょうど今、『2205』を上映している同じ劇場で、大勢のアニメファンをシアターに動員している作品ですね。
『Free!』では基本的に、この「ツン→デレ」がドラマを突き動かす動力源になっています。「ツン」なキャラが主人公たちを揺さぶって、主人公たちがそれを通して成長しつつ、そのキャラも「デレ」に向かっていく……形で、『Free!』の物語は進んでいきます。
この「ツン→デレ」の物語に限っては、描き方としては『2205』よりも『Free!』の方がずっとハードです。裏を返せば、『2205』の方がわかりやすい、シンプルな構造をとっています。
ここに、『2205』の魅力が隠れていると考えます。
「ツン→デレ」のベーシックな物語を『ヤマト』の中に落とし込みながら、「大人」と「若者」といった『2205』のテーマを打ち出しつつ、それをシンプルに分かりやすく、直線的に。そして「若者」も「大人」も、等しく魅力的な存在として描く。
物語としての起承転結の美しさと、表面的な「かっこよさ」を共存させることができていたからこそ、『2205』は満足度の高い「映画」になったのだと考えます。
なお、その点において『2205』が特徴的なのは、土門の「ツン」に対して「大人」たちが先制攻撃を仕掛けたことです。これは第1話Cパートと第2話を是非見て欲しいのですが、最初の土門の「ツン」を察して古代艦長に情報を伝えたのが24歳、保安部長の星名。彼も「大人」の一人です。これが非常にかっこいい。次いで、土門に対して予想外の行動で先制攻撃に出たのが27歳の古代艦長。彼も当然「大人」の一人です*2。さらに、その行動に違和感がないだけのキャラクター構築は『2199』『2202』が済ませている。そして、「もう大人たちには期待しない――」と正面切って言いそうな面持ちでヤマトに乗り込んできた18歳の土門竜介は、「大人」に振り回され、成長していきます。
この「大人」と「若者」の描き方が『2205』は見事で、見る人の世代やその日の気分によって、「大人」サイドにも「若者」サイドにも感情移入できるようになっている。それが『2205』の大きなアドバンテージの一つなのではないかと私は思います。
【公式HP更新情報】
— 宇宙戦艦ヤマト2205製作委員会 (@new_yamato_2199) 2021年10月11日
NEWSページにて『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』Blu-ray特別限定版(前章収録)の各映画館における販売状況を更新いたしました。
完売劇場も出ておりますので、下記より詳細ご確認下さい。映画館へのご来場、お待ちしております。#宇宙戦艦ヤマト https://t.co/hcWqbjTGCw
BD売り切れなんて2199以来だ https://t.co/62egkpQCK4
— 3gou@REVENGE (@merumeru1701) 2021年10月11日
3gou様のツイートですが、私も限定版BDの売り切れは『2199』以来なのではないかと思います。実際の売り上げについては部分的にしか知ることができませんが、肌感覚として、『2199』の頃のような「大きなまとまり」を感じる機会が増えてきたように思います。
後章はそれこそ福井さんが苦手(?)だと言われる風呂敷畳みですが、岡さんいわく「後章含めて爽やかな『宇宙戦艦ヤマト』」を目指すのが『2205』。後章も期待して待って、損はないでしょう。