こんにちは。ymtetcです。
『2205』の発進シーンには”あっさりし過ぎ”との声もありました。
実際、私も劇場で観た際にはそう感じました。
ですがその反面、『2205』の発進シーンは色々な角度から考えることができる構成・演出だったとも思います。今日はそれを取り上げていきます。
〇新しいドラマを与えている
そもそも、『2205』の発進シーンは決して短いシーンではないと考えます。
今回の発進シーンには、単に宇宙戦艦ヤマトが地球を飛び立つだけではなく、舵を握る土門竜介が、長き葛藤と一瞬の逡巡の末にヤマトを飛ばすまでの「土門竜介の物語・第一章」とでも言うべきドラマが与えられていました。
この解釈に則ると、少なくとも『2205』の発進シーンは、古代艦長による「土門竜介、出港の舵をとれ!」から始まっていると考えることができますよね。
さらに、ドラマ的に言えば、土門竜介が英雄の丘で「背負えるんですか?」と声をかけたシーンから始まっているともとれ、少なくとも人間ドラマ的には、あっさりどころかむしろ”こってり”しているのが『2205』の発進シーンだとも考えられるかもしれません。
私も”あっさり”と感じた『2205』の発進シーンですが、土門が舵を引き、「ヤマト!!新たなる旅立ち」のイントロが流れる場面では一種のカタルシスも感じました。それはきっと、「土門竜介の物語・第一章」が、この曲をエンディングテーマとして完結したからだと思います。
〇メカ描写は”あっさり”
とはいえ、”あっさり”派の多くの方が気にしているところはメカ描写だと思います。その点については私も同感です。
『2202』と『2205』のメカ描写は、やはり大きく違います。簡単に言えば、メカの迫力を重視する『2202』と、アクションを重視する『2205』の違いです。
『2202』のヤマト発進シーンを批判する声もありましたが、私は『2202』の発進シーンはとても良くできていたと考えています。海中からヤマトが浮上して、太陽に向かうようにカメラが回り込み、離水するタイミングでぐっとタメをつくる。安易に音楽のテンポに乗らず、ヤマトの重量感と巨大感を活かす。CGを使いながらできるだけ旧作の手描きに近づける、という意味でも、映像としては良いものだったと私は思います。
反面『2205』は、『2202』の重量感も巨大感もなく、遠目からの静かなカットが続いたわけで、その場面だけ注目すれば、”あっさり”と言わざるを得ない面はあるのではないでしょうか。
〇『2205』のすごいところ
ですが『2205』は、その分、代わりにキャラの描写が充実しています。興味深いことですが、『2205』第2話のシナリオを読むと、シナリオからシーンごと消えた場面がないのです。『2202』と『2205』のシナリオのボリュームがどれほど違うのかは検証していませんが、少なくとも、これは『2202』にはなかった傾向です。
もしもこれがメカ描写をより重視する『2202』なら、もっとヤマトの発進シーンを堪能できたでしょう。しかし、代わりにキャラクターの描写が薄くなっていたはずです。もっとも消えていた可能性が高いのは、ヤマトがエンストした際の雪と真田の咄嗟の判断ではないかと思います。『2202』的発想なら、あそこは説明なしでアスカとヒュウガを先行させれば事足りると判断されたはず。その分浮いた時間を、ヤマトが発進するシーンのメカの重厚感や迫力を高め、音楽とメカをしっかりと魅せる時間に充てていたでしょう。あるいは、平和な地球の人々を映し出す場面がなかったかもしれません。
〇『2205』の”色”
メカ描写を重視した、『2202』の路線が間違っているとは思いません。
特にデザインが正統派に回帰した『2205』メカなら、『2202』演出のようにじっくりと見たい、という声もあるでしょう。
ですが、私は『2205』の路線もまた、間違っているとは思いません。
『2205』の”色”は、たとえ「薄い」と思われようとも、着実に、”一人でも多く”のキャラクターの描写を積み上げていくことにあると考えます。
これをビュッフェ形式とみるか、オードブル形式とみるか、はたまたミルフィーユカツ定食とみるかは人それぞれですが(笑)、いずれにしても、小さく、細かく、しかし確かな描写をテンポよく積み上げていくのが『2205』の色です。そこに『2205』の面白さ、楽しさがあることも否定はできないでしょう。
なお、ある『2205』スタッフによれば、『新たなる旅立ち』は「青空が似合うヤマト」だといいます。『2205』発進シーンはメカだけでなく、あの綺麗な青空も一つの主役なのだ……と解釈すれば、今以上に楽しめるかもしれませんね。