こんにちは。
今日は、以前からやりたかった、昭和と令和の「ラブ・シュプリーム」の簡単な比較に挑戦してみたいと思います。「ラブ・シュプリーム」=「Love Supreme」は「至上の愛」、つまり”この上のない愛”という意味ですので、作詞者が違うとはいえ多少は比較になるかも? といったノリです(笑)。
さて、昭和の「ラブ・シュプリーム」は八神純子さん作詞。『ヤマト完結編』の”例のシーン”で使用されたことが、ファンの印象にも残っているでしょう。
そして2021年、令和の時代に、同じ「Love Supreme」を主題とするアニメソングが登場しました。
作詞は林英樹さん。タイトルは「愛のシュプリーム!」ですが、プロモーションビデオにはしっかりと「Love Supreme!」と書かれています。
なお、テレビアニメ『小林さんちのメイドラゴンS』の主題歌でした。
今日は、昭和の「ラブ・シュープリーム」と令和の「愛のシュプリーム」を、「愛」を軸に簡単に比較してみたいと思います。
歌詞を読み比べてみると、この二曲の描く「愛」はどこか、対照的なものに見えました。対照的なのは、この一節。
ラブ・シュープリーム
あなたの心の海で
ラブ・シュプリーム
夢を見させて
八神さんの「ラブ・シュプリーム」では、「ラブ」の対象である「あなた」の「心」を「海」にたとえて、歌い手はその「心の海」で、「夢」を見ることを求めています。
ここで語られているのは、愛し合う二人が溶けあう、一つになるという形の「至上の愛」です。「ラブ・シュプリーム」が使用されたシーンと連動しているとみるべきか、私の解釈が単に本編のイメージに引き寄せられているのかは微妙なところではあります。
一方、「愛のシュプリーム!」が描く愛はというと、
magic!君のつむぐ魔法は
buddy!僕を熱くする
(略)
supreme!愛こそがすべて
受け取るすべてがまるでメッセージ
照らしていてよ 最後まで
握った手のひらから
伝わるのさ 君が好きSource: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/fhana/ai-no-supreme/
まず、ここでは、語り手から見た「君」の魅力が「魔法」に譬えられているものと思います。そして、「握った手のひらから 伝わるのさ 君が好き」と語りは続きます。この「握った手のひらから 伝わるのさ 君が好き」は歌詞のなかで二度登場しており、この歌の軸の一つであることが窺えます。
加えて、「伝わる」もキーワードとなっているようで、この歌の最後は、
伝わるそのぬくもり 震える至上の愛
で締めくくられています。
「愛のシュプリーム!」が歌っていた「至上の愛」は、二人が溶けあうようなものではなく、むしろ他者として、他者でありながら手を繋ぐという「愛」でした。
また、「生まれて来たのは めぐり合うため」といった確定された「愛」ではなく、「未知なる」「他者」との間に育む不確定な愛。だからこそ「至上」なのだとするのが、令和版「ラブ・シュプリーム」なのではないでしょうか。
愛はどんな形にもなる
そう どこにでも行けるのさ
他者と同一であることを求めず、様々な形を認める。それを多様性や柔軟性だと解釈すれば、この二つの「至上の愛」にも、一定程度時代性が反映されているように見えますね。