ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】土門竜介は、寂しかった

こんにちは。ymtetcです。

今日は『ヤマト2205』の土門竜介が、「大人」をどう見ているかについて考えていきます。

「もう大人には期待しない」。これは『2205』前章キャッチコピーの一つでしたね。

『2205』土門は、父親の死のきっかけとなった国民投票、そして(父親の人生と引き換えに)生きている古代進に対して、反抗的な態度をとります。それは、古代進という「大人」だけではなく、父親のような真面目な大人の人生を破壊することを選んだ(ように土門には見える)、西暦2203年に古代進の救出を選んだ「大人」たちへの反発でもありました。土門は西暦2205年の時点で18歳。恐らく、あの国民投票では選挙権を持っていなかったでしょう。それだけに、勝手に自分の父親の人生を破壊した(ようにみえる)地球社会の「大人」たちに反発していたわけです。

今日はここから、もう一歩踏み込んでいきたいと思います。

 

第4話で、(土門と同じように父親を失っている)徳川太助は、土門にこんな言葉をぶつけます。

なんでヤマトに潜り込んだんだ? 試したかったんだろ、古代艦長を! 父親の命に見合う人間か、地球の運命を背負える人間か、って!

「そんなやつはいない」「人間なんてそんなもんだ」って諦めてたら、試そうなんて思わないよな? 期待しているから、まだ諦めていないから、お前は――

つまり、土門は実は「大人」に期待していて、だからこそ、土門は自分から「大人」と関わろうとしていたんじゃないか、と太助は指摘したわけです。この指摘にはさすがの土門も動揺を隠せなかったようで、あれだけ「(自分からは絶対に)降りない」と言っていたヤマトから、「俺は降りる」と宣言しました。

土門竜介と「大人」の関わりを考えるとき、外せないのが父親との関わりです。

一言でいえば、土門は父親のことが大好きだったのだと思います。

父親が事故を起こしたシーンの回想では、現場に慌てて駆けつけ、瞳を潤ませながら父親を抱きかかえる土門が描かれました。また、頭を下げて金策に駆けずり回る父親の背中を、軽蔑するでもなく共感するでもなく、唇を結んでじっと見つめていました。

「真面目に不器用に生きてる奴ほど狙われるんだ。全部一人で受け止めて、潰れて死んじまうような馬鹿ほど……!」この言葉には、父親に対する愛情と、父親が死んでしまったことへの行き場のない憤りが込められていると思います。

土門が父親のことをどう見ていたのか、分かるセリフがもう一つあります。

「俺がヤマトに乗るって聞いたら、親父は飛び上がって喜んだと思います」

土門にとって父親は、自分の成功を飛び上がって喜んでくれる大人だったのです。

ですが、そんな大人を土門は失ってしまった。古代進を救出する選択と引き換えに……。

先ほど「行き場のない」と表現しましたが、これだけなら、古代や古代を選んだ社会を恨めばいいのですから行き場はあります。

ところが、土門の「真面目に不器用に生きてる奴」「全部一人で受け止めて、潰れて死んじまうような馬鹿」という表現は、他ならぬ古代進にも当てはまります。つまり古代進は、どこか土門の父親に似ているところがあるのです。だから土門は父親について、「経営者として親父は、古代艦長たちの救出に票は投じなかったでしょう。けど、本音ではきっと……」と語るわけです。土門から見た父親の不器用さは、『2202』で自らの命を犠牲にすることを選んだ古代進の不器用さと重なる部分があったのです。

そこで、あのセリフに繋がってきます。「現実は意地が悪い」。真面目に不器用に生きてる人間を救おうとしても、また別の、真面目に不器用に生きてる人間が犠牲になる。全員を救うことは、簡単にはできない。だから「意地が悪い」のです。

話をもとに戻しましょう。

自分の成功を飛び上がって喜んでくれる父親を失った土門は、無意識のうちに、自分を認めてくれる大人を欲していたのだと思います。それだけに心の奥底では「大人」に期待していて、だからこそ、土門はヤマトに潜り込んだと言えます。

一方で、父親の命を奪った大人たちに、土門はひどく失望しています。自分を大人にしないまま、この世を去った父親に憤りも覚えているでしょう。だから「大人なんてこんなもんだ」という不信感も抱いている。ここに、太助の指摘するような”本当は大人に期待しているけれど、期待していないように振舞う”土門が完成するわけです。

試験でいい点をとった時、訓練がうまくいった時、料理を作った時、大学を卒業した時、ヤマトへの配属が決まった時。でも、それを喜んでくれたはずの父親はいない。

突き詰めれば、土門は寂しかったのだと思います。

ヤマトで、土門は様々な大人と出会います。古代、平田、薮。みんな土門を認め、居場所を与えてくれる大人ばかりでした。だから第4話にかけて、土門は少しずつ回復し、最後には、本来の彼のような生き生きとした姿を見せてくれるようになったのではないでしょうか。

 

さて、こうして見ると、土門と古代のドラマにはまだ続きがありそうです。何故なら土門は、まだ、古代が自分の父親と似た「真面目に不器用に生きてる奴」「全部一人で受け止めて、潰れて死んじまうような馬鹿」であることを、実際に体感していないからです。


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最も新しい予告編には「全員で背負うって、なんですか?」「引き金は、俺が引く!」という、『2202』を意識したセリフが盛り込まれています。真田の演説で、土門も古代の性格は知っているでしょうが、実際に見たことはないはず。古代が、自分の父親にもよく似た不器用さを持っていると認識した時、土門という人間はどう変わっていくのか。後章の一つのポイントになってもいいテーマだなと思います。