こんにちは。ymtecです。
福井さんは、リメイクシリーズを作る上で大切なこととして、「本質のアップデート」を掲げています。この言葉を聞いた時、私は何となく分かった気になったのですが、よくよく考えてみると、いまいち真意が掴めない部分もありました。
今日は、この言葉について考えてみます。
論点は、「一体、何をどうアップデートするのか」です。
〇「本質のアップデート」
まずは、福井さんの言葉を引用しておきましょう。
――これまでに参加された作品を含め、福井さんが「ヤマト」を再構築する際に気をつけている部分はどこでしょう?
福井●「成りだけ真似ること」をしないという点に尽きますね。物語で描こうとした本質は何なんだろう? ということを考えたうえで、その本質が再び現代で語るのに値するかどうか? を検討するのが、もっとも重要なポイントかもしれません。時代が変われば、当然価値観も変わっていくわけですから。本質のアップデートをしない単なる焼き直しでは、誰に向けたフィルムなのか、わからなくなってしまうので。
(『ヤマトマガジン 9号』2020年11月、株式会社ヤマトクルー、13頁。)
ここで福井さんは、「本質のアップデート」について、「物語で描こうとした本質は何なんだろう? ということを考えたうえで」「その本質が再び現代で語るのに値するかどうか? を検討する」ことが、「もっとも重要なポイント」であると述べています。
ここでいう「本質」は、「再び現代で語るのに」値しないこともあるのでしょう。
であれば、福井さんの中では、原作の「本質」は変更可能なものであるということです。これは重要なヒントになります。
企画書を読む限り、『2202』では、福井さんは自身の解釈における”『さらば』の本質”的な部分は変更していません。しかし、『2205』の場合、原作の『新たなる旅立ち』は『さらば』ほどには絶対的でなく、なおかつ、「現代で語るのに値する」「本質」があるかどうかは、議論の余地のある作品でもありました。それ故か、『2205』は『2202』以上に、原作からの物語の改変が目立ちます。
すなわち、原作の「本質」とは場合によっては変更されるものであり、それを検討することこそが「本質のアップデート」である、となるでしょう。
〇「お話そのもの」
さらに、福井さんはこうも述べています。
福井●(略)しかし”お話そのもの”については、当時の制作者たちが伝えようとしていたことを、細かく”解体”したうえで、今の人々に適したメッセージにしていかなければならないと思っていますね。それが、リメイクにかかわるスタッフの使命ではないでしょうか。
(同上)
この二つの引用で、「本質のアップデート」の真意がおぼろげながら見えてきたかなと思います。
「当時の制作者たちが伝えようとしていたこと」は、おそらく先述した「本質」と同じ意味の言葉でしょう。であれば、「本質」は作り手によって「解体」され、「今の人々に適したメッセージ」に作り変えられていくもののようです。
ポイントは、「解体」という言葉の解釈です。解体とは「ばらばらにすること」ですが、全くの更地にすることではありません。
すなわち「本質」は、「現代で語るのに値するかどうか」の検討次第で変更されるものではありますが、常に一定程度尊重されるべきものであるということです。例えば、『新たなる旅立ち』の「本質」は「世代交代」である、と仮定した場合、それは一度解体され、『Ⅲ』とも融合した上で『2205』に盛り込まれていると考えられます。
このように、原作の「本質」を現代に合わせて再構築し、原作が「伝えようとしていたこと」を「今の人々に適したメッセージ」に作り変えていくことが、「本質のアップデート」だと言えそうです。
〇「本質」を見極める基準は曖昧
気になるのは、この「本質」が「現代で語るのに値するかどうか」を、どの観点で判断するのかがよく分からない点です。ファンの世代交代が必要だから、との判断であれば、それは日本社会ではなくヤマトファンの視点に立っています。それでは、ヤマトファン層以外にはなかなか広がっていきません。ただ、旧ヤマトファンの世代に響くドラマが「世代交代」だ、との判断であれば、その視野が広くなっており、向いており、話は別になります。
何を基準に「本質」を見極めていくのかは、今後も注目していきたいところです。
ところで、『2205』は『2202』よりも福井さんの言葉に触れる機会が減ったように思います。後章をめぐって現れる媒体はもちろん、ぜひとも完結後には、企画書を読むことができたらいいなと思う作品ですね。