ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2199】別解・古代が土門を残した理由【2205】

こんにちは。ymtetcです。

あいつは俺なんだ。兄さんのことが許せなくて、試す目で沖田艦長を見ていた時の俺と。いや違う、もっと重い。俺の命と引き換えに、あいつは父親を失ったのだから。犠牲に見合う価値を示せるとは思えない。艦長としては、あいつを降ろすのが正解だったのかもしれない。それでも……

「それでも……」以下に何を補うか。私は「あいつに俺を見ていて欲しかった」と補いましたが、先日知人に同じ問いを投げかけたところ、興味深い答えが返ってきました。

この知人は、キャラクターにかけては私以上に『2199』フリークである、といってもいいと思います。それゆえか、知人が補った言葉はとても『2199』らしいものとなっていました。それが、今回のタイトルに『ヤマト2199』を掲げた所以です。

今日は(許可をもらったうえで)この知人の考えについて、紹介していきます。

〇「それでも……」以下に何を補うか

あいつは俺なんだ。兄さんのことが許せなくて、試す目で沖田艦長を見ていた時の俺と。いや違う、もっと重い。俺の命と引き換えに、あいつは父親を失ったのだから。犠牲に見合う価値を示せるとは思えない。艦長としては、あいつを降ろすのが正解だったのかもしれない。それでも……

「(俺はあいつに気づいて欲しかったんだ。この宇宙にはたくさんの、新しい出会いがあるんだって。俺はヤマトに乗って、それに気づけたから)」。

これが知人の解答でした。

〇古代が土門と自分を重ねているところに注目

知人と私の考えの出発点は、基本的には同じです。まずは古代が「あいつは俺なんだ」と、土門にかつての自分を重ねている部分に注目しています。

ここで私の場合、古代が「沖田十三」という人間を試そうとしていた過去に注目して、「人間として試す目で見られる」ということが、時間断層の代わりに帰還し、社会の注目を浴びた古代にとっては、半ば本能的に必要なことだったと考えました。

一方知人の場合は、古代も土門も家族を失って孤独である、という共通点に注目しています。古代はガミラスとの戦いで家族を失い、孤独になりました。だからこそ、『2199』第12話の「家族は、新しく作れるよ」とのセリフもあるわけです。

むろん『2205』の土門と違い、『2199』の古代は(沖田に「(戦術長は)お受けする資格がない」と述べただけで)ヤマトから降りようとしたわけではありません。しかし事実として、古代はヤマトに乗ったことで、新しい出会いを重ねてきました。それはヤマトクルーだけにとどまらず、メルダ、バーガー、キーマンといった異星人にまで及びました。ヤマトに乗ったからこそ、孤独だった古代は新しい「家族」「居場所」を得たのです。ゆえに古代は、自分と同じように土門も孤独から救われて欲しいと考えたのではないか、と。とても『2199』らしい、爽やかな解釈だと私は思います。

『2205』には、「(昔のように)笑わなくなった」土門が笑顔を取り戻すまでの物語、という側面もあります。第1話で描かれているように、『2205』序盤の土門は孤独です。仲の良かった同期たちとも、明らかに距離を置いています。もし第2話の時点で、古代が平田の協力を得られず、「艦長として」下すべき判断に則って土門をヤマトから降ろしていたら、土門は孤独なままだったことでしょう。

ですが土門はヤマトに残り、少しずつ「孤独」から解放されていきました。上司の平田、監視という名目だけど自分を見てくれる星名、同じはみ出し者の薮。自分がどんなに変わっても、変わらずにいてくれた同期の仲間たち。そして、最後には、自分が抱えていた葛藤の根本原因である古代進その人を、本当の意味で理解することもできました。

この物語の構造からすれば、知人の解釈もまた面白いと私には思えます。

〇どちらの解釈にしても

ところで、古代が「それでも……」と言葉に詰まったのは、古代自身、この時は自分の「土門をヤマトに残したい」想いを完全に言語化できなかったからだと考えられます。

そこで『2205』のラストシーンから逆算してみましょう。ここで古代はすっきりとした笑顔を浮かべています。

古代のこの笑顔には、「ああ、これでよかった」という安堵感にも似た様々な想いが込められていると思います。そして、その一つに「やっぱり、土門を残してよかった」の気持ちも含まれているのではないでしょうか。

そこにある古代自身も言語化できない気持ち(「土門を残したい」→「残してよかった」の気持ち)こそ、古代が土門をヤマトに残そうとした理由。こう解釈すれば、『2205』の行間の一つを、また一歩深く楽しむことができると私は考えます。