ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】薮に関する詰めの甘さ

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2205』における「明日への希望」の一翼を担った薮。愛する人を失った古代や、今まさに失うデスラーと対比されるように家族と再会する薮は、福井ヤマトが描く「明日への希望」のライトな側面を象徴するキャラクターであったと言えます。

しかし、私は一方で、『2205』における薮の扱い、とくにヤマト艦内での扱い方には詰めの甘さを感じました。今日は、このことについて考えていきます。

〇「ドラマ(テーマ)のためのイベント」の弊害

『ヤマト2205』前章では、縁あってヤマトに再び乗り込むこととなった薮が、艦内で「裏切り者」と呼ばれ、孤立化する状況が描かれました。これが、薮を「裏切り者」とは見なさない土門たち新クルーとの接近に繋がり、あるいは、『2205』のテーマの一つである「居場所としての愛する人・家族」にも繋がりました。

しかし私には、これが『2205』のテーマを描くための作為的なイベントに見えてしまったのです。それはまさに、先日私が言及した「ドラマ(テーマ)のためのイベント」の弊害ではないでしょうか。

〇薮の扱い、何が問題か:古代の姿勢

私は、ヤマト艦内における薮の物語について、二つの問題があると考えています。

一つは、この件に対する古代の対応が明確にされない点です。

そもそも、薮と新見は同じ反乱を起こした人間でありながら、なぜこれほどまでに扱いが異なるのでしょうか。それは新見が反乱後の七色星団で活躍したのに対し、薮はむしろ、シーガル艦内で古代に対して銃を突きつけたからだと推測できます。

つまり、ヤマトクルーとしての薮に、最後に向き合ったクルーは古代。古代の薮に対する態度は、もっと明確であってもよかったと思います。

もちろん、全くのヒントがないわけではありません。保安部長の星名は、薮に対しては冷たい対応をとる一方で、ヤマトから飛び出そうとした薮の行動については、不服そうな表情をしながらも、おとがめなしの対応をとっています。これが古代の命令を受けての判断だとすれば、古代の薮に対する姿勢はここから伺うことができます。

しかし、それでもヒントとしては不十分だと考えます。彼が薮という存在にどう向き合っていたのかは、全く描かれないと言ってもいいでしょう。この点は、薮が物語から少し浮いてしまう一つの要因になったのではないでしょうか。

〇薮の扱い、何が問題か:信頼は取り戻したのか

もう一つは、薮がヤマトクルーの信頼を取り戻す場面が描かれない点です。先述したように、新見は七色星団での活躍をきっかけにヤマトクルーの信頼を取り戻しました。一方薮は、『2205』後章ではいつの間にか機関室に戻り、そのまま活躍しています(もちろん、古代が薮を機関室に再配置した可能性もあります)。

その過程の描写は、いくら過程を省略してテンポアップを図った『2205』といえど、あまりにも不足していると考えます。

個人的には、第5話における「予備動力を波動防壁にまわすアイデア」を、薮が発案しても良かったのではないかと思っていますが、最終話のアスカ艦内でとぼとぼ歩く薮の姿を見るに、孤立化状況は最後まで変わらなかったのかもしれませんね。コスモハウンドは、薮なしでは動かなかったのに……。

〇詰めの甘さ

『2205』における薮を追っていくと、ヤマト艦内に戻ってきて孤立化し、土門と接近し、自棄を起こし、機関室に戻り、コスモハウンドに乗り込み、家族と再会する、という順序になります。物語の流れとしては不自然ではないのですが、薮が孤立化する過程ではヤマトクルーが深く関わっているのに、それをフォローする描写がなかったのは残念で、詰めが甘かったなと感じます。

この詰めの甘さが、あたかも都合よく薮の立場からドラマを抽出し、作品のテーマを描くために利用したように、私が感じてしまった要因の一つだと考えます。