ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

リメイクヤマトと、タイトルの副題【新たなる旅立ち】

こんにちは。ymtetcです。

これまでのリメイクヤマトで、作品のタイトルに副題がつけられた新作は三つありました。『2199 星巡る方舟』『2202 愛の戦士たち』『2205 新たなる旅立ち』です。この三つは、物語の舞台を示した『星巡る方舟』と、物語の主題を示した『愛の戦士たち』『新たなる旅立ち』に分けられます。また、後者二つはいずれも福井ヤマトです。

そこで今日は、福井ヤマトの副題について考えてみます。すると『新たなる旅立ち』の方が、より純粋な「作品のタイトル」として機能していたことが分かりました。

もちろん、福井ヤマトの二つの副題は、単に旧作を踏襲しているに過ぎません。ゆえに、問われるべきはタイトルよりも、肝心の中身がどうなっているか、です。

〇『2202 愛の戦士たち』の場合

まず『愛の戦士たち』の場合、『2202』を観ていて観客が「愛の戦士たち」を感じることは少なかったのではないでしょうか。なぜなら、観客が視点を置く古代進らヤマトクルーが、あまり「愛」を語らなかったからです。

その意味で『2202』における「愛の戦士」は、パッと見ればズォーダーということになります。しかし、観客がズォーダーに感情移入できるとすれば、彼の過去が明かされた第20話でしょう。

『さらば』では主人公たちに「愛」を語らせたのに対して、『2202』では主人公たちの敵に「愛」を語らせました。もちろんそこには、「愛」が正面切って語られない現代に、もう一度「愛」を肯定する物語を作るためには……との福井さんの判断があったわけです。

とはいえ結果的に、『2202』はタイトルに掲げた主題を、ストレートに観客に感じさせることが少なくなったと考えます。

〇『2205 新たなる旅立ち』の場合

『2205』でも『2202』同様に、ヤマトクルーだけではない「新たなる旅立ち」を描いたのですが、『2205』では旧作以上に、「新たなる旅立ち」の要素は強化されていました。過去国民投票に囚われた土門と古代が、再び明日への希望を描くまでの過程を描き、ガミラスイスカンダルを失ったデスラーもまた、明日への希望を抱いて旅立つ。これはまさに、「新たなる旅立ち」を主題とした物語です。

また、内容だけではありません。監督が代わって演出面も一新されました。

このようにして、観客が「新たなる旅立ち」を感じられるような作品になっていたのが『2205』だと考えます。

〇タイトル回収の役割

タイトルを回収することはマストではありませんが、かといって放ったらかしにしておくことも得策ではありません。

『2202』も「愛の戦士たち」の副題を回収はしているのですが、観客にとっては分かりにくくなった点が課題であったと思います。「愛の戦士たち」であるヤマトクルーと、愛を否定しながら愛に囚われているガトランティス、「AIの戦士たち」とも言うべき銀河クルーなど、タイトル回収を分かりやすくするチャンスはたくさんあったわけですが、そのいずれの機会でも、明確にはされませんでした。その点『2205』は、より分かりやすく、シンプルな「新たなる旅立ち」を描いていたと言えます。

では『3199』のタイトルである『ヤマトよ永遠に』と『REBEL』は機能するでしょうか。

鍵を握るのが「永遠に」の解釈です。原作からして、『ヤマトよ永遠に』のタイトルは解釈が難しいからです。一つの解釈が、安藤ありささんの「ヤマトよ永遠に宇宙を駆けよ」ですが、これをストレートに再現するのであれば、再び「ヒーローとしての宇宙戦艦ヤマト」を復活させることがよいのではないでしょうか。ヤマトが旅をし、戦うことを肯定できる環境が必要です。

『3199』では、新キャラクターにあたる揚羽を使えば、いかなる物語も展開可能になります。『2205』における土門と対になる「ヤマト大好きっ子」揚羽が、抱いてきた夢と現実の狭間で……などと勝手に妄想していまいますが、それほどに、まだ情報が少ないと言わざるを得ませんね。