ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】特定の世代向けも悪くない

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2205』は、やはり旧ヤマト世代に向けた作品でした。

今日はこのことについて、考えていきます。

『2205』、は「かつての『ヤマト』ファン」よりも、より普遍的な、かつて『ヤマト』をリアルタイムで楽しんだ世代、年齢層に向けた側面を持っていたと思います。

その代表的なポイントが、『2205』の根幹をなしたテーマでしょう。

『2205』には、ある一つの明確なメッセージがありました。それは土門、スターシャ、デスラーを介して描かれたものです。

改めて整理しておきましょう。

スターシャはこう語ります。「永遠を手に入れても人は救われない」。ここに込められたメッセージとは、「終わり」があるからこそ人生は輝く、というメッセージです。しかし、改めてスターシャが語るまでもなく(語ってはいますが)、「終わり」とはすなわち「別れ」。そして「別れ」は、とてもつらいもの。それでも「別れ」がなければ、人生は美しいものにはならない……が、このメッセージです。

この矛盾した哲学の中で、人類はどこに救いを求めるのでしょうか。それこそが、愛する人、すなわち「別れ」たくない人と最後まで共にいることです。これは土門、デスラーを介して描かれましたね。

さて、これはやはり、ヤマト世代向けだと思います。私はヤマト世代の子ども世代にあたりますが、最近、色々なことを考えます。同世代は結婚する人が増えましたし、子どもがいるケースもあります。それはヤマト世代の孫世代にあたります。であれば、ヤマト世代の親世代は? あるいは、ヤマト世代の同世代は? そこには、多くの「愛する人との別れ」が待っています。

『2205』とは、そこに向けたメッセージを込めた作品でもあったのではないでしょうか。そう考える時、このような特定の世代向けの作品も悪くないと思えます。

こうした現実と向き合わなければならないのは、これからの私も同じです。そんな時、『2205』のメッセージは私にどう響くのか、響かないのか……。

それはとても、楽しみなのです。こうした前向きな捉え方ができる点で、『2205』のようなアプローチも悪くないな、と思います。