ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【スターブレイザーズΛ】私には難しくなってきた件

こんにちは。ymtetcです。

今日は『スターブレイザーズΛ』の話題です。

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単行本は買っているとはいえ、最新話を無料で読める作品ですので、特に大きな不満はありません。ただ、事実として私はこの作品を理解することが難しくなってきた現状がありますので、一旦記事にしておきたいと思います。

これまでの当ブログでの記事は、カテゴリー「スターブレイザーズΛ」に並んでいます。記事のリストをみると、第17話まで取り組んでいた「1話ごとのメモ」が、最近は途切れ途切れになっています。これを怠っていることが恐らくは直接の原因かと思いますので、以下に記す内容は、あまりフェアではないかもしれません。

 

さて、ここ数話、私は読みながら「難しいなぁ」という感想を抱いています。エモーショナルな人間ドラマを展開しようとしつつも、どこかに何かが引っかかっているような、読んでいる自分自身の感情を解放しきれないような感覚が最近の『Λ』にはあります。

一つの考えられる要因としては、SF設定や理屈・戦闘シーンと人間ドラマの連動が薄く感じられるようになってきたことです。

私が『Λ』で最も好きだったのは第6話のマリナ回と第8話のニーナ回だったのですが、そのいずれも戦闘シーンとSF的理屈、人間ドラマが連動して、相乗効果を生み出している回でした。その観点からすると、第10話のミフネ回も、とても面白かったですね。

ただ最近の『Λ』では、あまりこうした、設定とドラマの連動性が見られないと感じています。例えば第27話では、第26話で言及された「フィギュアスケーターとしてのマリナ」の設定が特に活かされた様子はなく、ただのヒューゴーの”死亡フラグ”としてしか機能していませんでした(今後に活きてくる可能性もありますが)。

『Λ』の根幹にある「サイクリック宇宙論」や「時空結晶体」も、SF設定としては面白いのかもしれませんが、まだドラマのエモーショナルな部分と連動していないため、私個人は乗り切れていないのが現状です。特に「サイクリック宇宙論」は初期も初期、第7話(2020年11月公開)で初めて言及されたものですから、まだそのポテンシャルを活かしきれていないように思います。

 

設定とドラマの連動が私には見えにくくなったことで、劇中で描かれているものがバラバラに見えてしまっている点が、私と『Λ』の関係の現状だと思います。

とはいえ、もう完結間近だと思います。どんな結果に終わったとしても、最後まで見届けることで得られるものはきっとあるはずですので、引き続き楽しんでいきたいですね。