こんにちは。ymtetcです。
『新たなる旅立ち』のリメイクである『2205』は、『2199』『2202』とは違い、原作が「不朽の名作」ではありませんでした。それゆえ『2205』は、単純な「再現」としてのリメイクというよりは、コンテンツとしての再挑戦、いわば「リトライ」「リベンジ」を試みたものではないか、とする論調が、公開前から一定数存在したと思います。
予約していた『2205』全記録集が届きました! 私の大好物、福井さんによる「企画メモ」も収録されています。これが読めることには、本当に感謝しかありません。 pic.twitter.com/jjCL0OIIDo
— ymtetc (@ymtetc) 2022年8月1日
今回「企画メモ」を読むと、やはり作り手としても、ファンが事前に思っていたのと同様に、これを旧作の「リトライ」「リベンジ」だと位置づけていることがわかりました。しかしこれまでは、『2205』が一体どのような点において旧『新たなる旅立ち』を再構築しているのかは、必ずしも明確ではありませんでした。
今日はこの点について、考えていきます。
「企画メモ」で、福井さんはこう問いかけます。
メインユーザーとなる往時の少年少女は、公開当時、『新たなる旅立ち』と『ヤマトよ永遠に』になにを期待していたのか。
そして福井さんは、以下のように答えています。
あの『さらば~』の熱狂を引き継ぐ作品が見たかった。(略)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の続編としての『新たなる旅立ち』であり、『ヤマトよ永遠に』。あの熱と切実さを納得のいく形で引き継ぎ、継続させる物語。
「当時の少年少女は『新たなる旅立ち』に『さらばの続編』を求めていた」。
こう切り取るとセンセーショナルな意見にも見えますが、実際、福井さんはかなり慎重な言葉選びをしています。「熱と切実さ」「納得のいく形」「継続させる」との表現は、福井さんのいう「さらばの続編」の意味するものが、単なる表層的な部分ではなく、より理念的な部分を指しての表現であることを示すものです。
さて、この語りの前に、福井さんは、いわゆる「『さらば』ルート」と「『2』ルート」を以下のような構図で対比していました。
- 『さらば』ルート
「第一作目が掲げた『反戦』『あるべき戦後社会の創造』『ヒューマニズムの昇華』というテーマと真正面から取り組み、相討ちになることで伝説に昇華した”作品”」。
- 『2』ルート
「それらテーマを視野に入れつつも、まともに組み合うことはせず、『愛』という蓋然的なモチーフでテーマ的な結構をつけた”ショー”」。
一つの「テーマ」を深堀りした”作品”が『さらば』で、必ずしも「テーマ」を深堀りしたわけではなかった”ショー”が『2』以降だ、というのです。
ここに、福井さんの考えた、『2205』の立ち位置が見えてきます。すなわち、『2205』とは、”ショー”になってしまった旧作を再び”作品”として蘇らせるものだ、ということです。
それは、旧『新たなる旅立ち』に不足していた”第一作『ヤマト』『さらば』由来のテーマ性”に「真正面から取り組み」、昇華させる作品。いわば、かつて「『2』の続編」であった『新たなる旅立ち』を、(『さらば』のリメイクであった『2202』を経由して)「『さらば』の続編」として蘇らせるのが、『2205』の挑戦だと言えます。
『2205』企画メモは『2202』のそれと同じテイストで、福井さんの『ヤマト』論としてとても興味深い内容でした。
— ymtetc (@ymtetc) 2022年8月1日
「当時の少年少女は『新たなる』『永遠に』に何を期待していたか?」との問いがとても面白いと思います。それに対する福井さんの答えも、また議論してみたいポイントですね。
今回、この福井さんの考え方は賛否両論あるだろうな、と思いました。「『新たなる旅立ち』は『さらば』の続編であるべきだった」と切り取れるこの記述には、間違いなく異論を唱える人が出るからです。
まだ私も「企画メモ」を十分に読み込めておらず、福井さんの真意までは理解できていません。この論点は、また時間をかけて考えてみたいですね。