ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】「企画メモ」に見る福井ヤマトの現状と限界

こんにちは。ymtetcです。

今日も『ヤマト2205』全記録集を読みながら、『2205』について考えていきます。今日のテーマは、「福井ヤマトの現状と限界」です。

〇福井ヤマトの現状と限界

福井ヤマトは『さらば』のリメイクである『2202』から出発したシリーズ作品です。

しかしそのためか、福井ヤマトは、『さらば』と(その出発点である)旧作第一作の第24話(あのガミラスの死闘の末に古代が言った「愛し合うべきだった」)に縛られながら、『ヤマト』新作を生み出し続けています。これが福井ヤマトの現状です。

もちろん、それはいいことでもありますが、第23話までの『ヤマト』が持っていた魅力を見失うリスクをはらむと考えます。そこが、福井ヤマトの限界ではないでしょうか。

〇『さらば』を重視する福井ヤマトの現状

福井さんは『さらば』について、こう語っています。

第一作目が掲げた反戦」「あるべき戦後社会の創造」「ヒューマニズムの昇華」というテーマと真正面から取り組み、相討ちになることで伝説に昇華した”作品”が『さらば~』。

(『2205 全記録集』140頁、下線と太字は引用者)

一方、『2』以降の『ヤマト』については、こう語っています。

第一作目を起源とするテーマ性は失われ、『さらば~』までの切実な空気感も消え去って、「新たな侵略者に立ち向かうヒーローとしてのヤマトを大スケールで描く」”ショー”のみがそこにある。これをそのままリメイクすることは、すなわち敗北の歴史をなぞる結果になりかねません。

(『2205 全記録集』140頁、下線と太字は引用者)

つまり、『さらば』までの『ヤマト』は「第一作目を起源とするテーマ」に「真正面から取り組」んだために「伝説に昇華」したが、『2』以降の『ヤマト』は「テーマ性」を失った「ショー」に過ぎなかったために「敗北」をもたらした。だから、自分は『2』の続編であった『新たなる旅立ち』を、『さらば』を(作風的に)受け継いだ作品としてリメイクする。

そう福井さんは語っているのです。

〇第24話&『さらば』重視の限界

しかし、そこには限界があると考えます。

ファンは第24話以降の『ヤマト』だけを楽しんでいるわけではありません。第23話までの『ヤマト』もまた、ファンの大好きな『ヤマト』なのです。

そこで問われるべきは、果たして、反戦」「あるべき戦後社会の創造」「ヒューマニズムの昇華」という『ヤマト』のテーマ性は、第23話までの『ヤマト』にも当てはまるものなのか、ということです。

もちろん、これらの「テーマ性」が『ヤマト』の重要な一部であることは、古代や真田の回想を見ても分かります。ですが、これだけをもって『ヤマト』の魅力やアイデンティティを語ることにはリスクがあると考えます。第23話までの『ヤマト』が持っていたもの……抽象的に言えば「夢」「ロマン」「冒険心」「明日への希望」といった諸要素を語り落としてしまうのではないでしょうか。