こんにちは。ymtetcです。
いま『2199』を観返す際に、今となって気になるのは、やはりデスラーです。
福井ヤマトによる再構成が進んだ現在のデスラーですが、それを経た自分の目に、『2199』デスラーはどのように見えるのか。
今日は、その感想を書いていきたいと思います。
久々に『2199』第23話を見て感じたのは「誰も何もわからないまま話が進んでいく恐怖」でした。デスラーの内面の深堀りがなされないのは尺の問題としても、あまりにも、彼がバレラスに向かってデスラー砲を放つ動機に対して、あまりにもヒントが少なすぎるのです。
ほとんどヒントのないままに「狂った独裁者」が描かれ、反面、ヤマトパートはとてもヒロイックに描かれていくのですから、とにかく怖い。作品が理解できない境地に向かっていったようで、作品から自分自身が置いていかれてしまった絶望感がありました。
さて、本来ならば『2199』のシナリオを読んでこの背景を検討したいのですが、まだ入手していないため、今回はできそうもありません。
ちなみに、福井ヤマトは、この時のデスラーの動機を以下のように整理しています。
- 帝都バレラスには、ガミラス星がじきに滅ぶことを知りながら、反イスカンダル主義の姿勢をとる保守派がいた
- ガミラス人生き残りをかけたガミラスフォーミングの対象である地球を、最愛の人であるスターシャが救おうとしている事実に「裏切られた」と感じていた
- そのヤマトが帝都バレラスで足止めされている
- ガミラス人生き残り策の一つである人工都市案では全てのガミラス人を救うことができないため「人減らし」が必要だった
- 帝都バレラスを自ら攻撃する理由が揃ったことで正気を保てなくなりそうなところ、正気を保つために、敢えて「狂った独裁者」を演じた
このような背景で、デスラーは第二バレラスの一部を落下させ、デスラー砲でヤマトごと葬り去ろうとした、というわけです。「古き衣を脱ぎ捨てる」の解釈には、なるほどな、と頷かされました。
しかし、結局のところ、『2199』側の「ヒントがなさすぎる」という問題は解決のしようがありません。
『2199』第23話は、「狂った独裁者」と「ヒーローとしてのヤマト」を勢いで23分につなげて、半ば無理やりに突破させたような印象を受けました。それは、合理的に、緻密に物語を構成してきた、第21話までの『2199』ではあり得なかったアプローチです。
しかしその分、それまでの『2199』にはなかった「熱さ」はありました。内容としてはいまいち乗り切れなかったものの、ノランの心情やギムレーの心情、雪を助け出したときの古代の想いなど、単体でみれば熱いドラマが随所に見られます。
この点は、『2202』に近いと言えます。実は『2202』とは、『2199』第七章の続編、だったのかもしれませんね(笑)。