ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

副監督は決して「異常」な人間ではない

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↑関係ないようなあるような動画

こんばんは。ymtetcです。今日は「私達ってそれほど副監督と違う人間じゃなくない?」という話をしていきます。

副監督は、権力者です。2202の制作で権力を握っているということではありません。彼は作り手の一人で、私達は観客。ヤマト2202という磁場の中で、彼は私達よりも相対的に大きな権力を握っています。

副監督は傲慢だと思います。エゴサーチでヤマトファンを監視して、批判したり、囲い込んだり。

でも傲慢って、自信と紙一重なんです。

 

私達が何故、副監督を批判するか。それは守るべき「正義」があるのではなく、守るべき「自分」があるからです。

批判にせよ称賛にせよ、根源的には「自分」のためでしかない。

しかし、これを「正義」と取り違えてしまうとどうなるか。

傲慢になります。

 

ところで、私がTwitter上で発言や交流をしないのは(情報収集用のアカウントは所有しています)、Twitterをやると、副監督と大差のない行為をしてしまいそうだからなんです。

「副監督」「2202」でサーチ、共感したツイートをRT、いいね。フォロー。仲良くなったらオフ会。共感できない意見には反論。嫌だと思ったアカウントをブロック。

誰しも、一つくらいはやったことがあるはずです。

でも全部これ、副監督がやっていることなんですよ。

 

──いや、副監督は「お客様」を相手にやっているからダメなんだろ?

 

その通りです。だから私達は批判しています。でも……

冒頭の動画の論旨に「権力を持つと共感能力が低くなる」というものがありました。

考えてみましょう。自分がアニメの副監督になって、ファンに対して相対的な権力を持って、しかも自分の周りにはもてはやしてくれる人がいる。

これで「傲慢」にならない自信があるでしょうか?

ない方がいいと思います。さっきも言った通り、自信と傲慢は紙一重ですから。「なるわけがない」とたかを括るのと、「ならないようにしよう」と気を付けるのは違います。

 

もちろん、彼は作る側で私達は観客なのですから、批判する権利はあります。

しかし人間としては、実は彼と私達の間に違いがあるとは思えません。

副監督は「異常な」人間なのではなくて、単に立場上不適切であると指摘せざるを得ない言動をしているだけの、私達とそれほど変わらない人間なのではないでしょうか。

しばしば、不適切な言動を批判するあまり、人格まで否定したり「病気だ」と言ってみたりする人もいます。批判する道理はありますし、なぜ彼があんな振舞いをするのか考えたい気持ちもあるでしょう。

しかし、そうしてあたかも自分が「正常」で相手が「異常」だと考え、傲慢となってしまえばどうなるか。

私達もまた、傍から「異常」な人間だと思われるようになるのです。