ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

なぜ表現をおすすめするのか

こんばんは。ymtetcです。

「軽視」だの、「重視していない」だのと、最近続けて「表現をおすすめする」ような文章を書きました。ですが、昨日ツイッターで書いたように、「表現をおすすめする」というのは何だか不遜に感じられます。

それでも、私は表現をおすすめしたい。そんな感情は消えません。

そこで今日は、この理由について書いてみたいと思います。

〇なぜ、表現をおすすめする(したいと思う)のか?

〇それは、「共通言語」がないと議論できないからです。

議論とは、自分の意見と他人の意見があって、初めて成り立ちます(実は、私の意見が中心となる当ブログは議論に不向きな構造を持っています)。

それ故、議論を行う際に重要となるのは、まず相手に自分の意見を聞いてもらうことです。大切なのは、相手が自分の意見を聞くのは当たり前、ではないことです。聞かせるのではなく、聞いてもらう。

そして、相手に意見を聞いてもらうためには、相手が不快になる表現を使わないことが必要になります。例えば、2199のファンは2199を日々罵倒する人と話そうとはしません。もっと言えば、話したくありません。あるいは、2199に一言言いたいことがあるぞ、という人は、2199を日々礼賛する人と話そうとはしないでしょう。このような「信者」「アンチ」と呼ばれてしまう人たちは、しばしば意見の食い違う人にとって不快な表現を用いているからです*1

ここから、意見の食い違う人同士が会話をするためには「共通言語」が必要だと考えます。両者にとって不快ではない、歩み寄りの可能な何かが。

そこで、私が考えてみたのが「重視」と「重視していない」でした。

「2202は2199を否定している!」という見方は、もちろん間違いではありません。ですが、別の側面から見れば、「2202は2199を否定していない」。ある側面から見れば正しくとも、別の側面から見れば間違っていることはよくあります。

とすると、「否定している」というセンシティブな表現では、

「2202は2199を否定しています」「2202は2199を否定していません」

という、白黒的な会話、悪い言い方をすれば口喧嘩のような会話になりかねませんよね。それは「否定」が、悪意のニュアンスが含まれる言葉だからです。言い換えるならば「悪意があります」「悪意はありません」という会話をしているに等しい。

このような状況を避けるために、他の表現が使えないか。

私には、こんな問題意識がありました。

 

では、この問題意識を持たなければならない程、私が「議論」を重要視している理由は何か、について明日は書いてみたいと思います。