ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

第676話「白熱! 『2199』『2202』サブタイトル論争!!」

こんにちは。ymtetcです。

意外なところから、『2205』第4話のサブタイトルが公開されました。同じ時期に、結城さんや枝松さんなどのスタッフが活発にツイートを始めたところを見るに、全体として『2205』のSNSでの関係者ツイートが解禁されたのでしょう。

さて、天田さんのツイートによると、『2205』第4話のサブタイトルは「イスカンダルを救え! 若き勇者たちの反乱!!」だそうです。このサブタイトルについては、Twitterで以下のスレッドを作成しているため、参考にしてください。

どうやら、一定程度の新しさは感じられるものの、概ね『2205』のサブタイトルは、『2202』から引き続いて「旧作風」なようです。これは是か非か。私のTLでは活発な議論が交わされていました。

そこで今日は、『2199』『2202』のサブタイトルについて私見を述べてみたいと思います。

〇私は『2199』のセンスが好み

まず申し上げたいのが、私自身は『2199』スタイルのサブタイトルが好きだということです。

氷原の墓標、冥王の落日、いつか見た世界……そんな詩的なタイトルのつけ方こそ、『2199』スタイルでした。『2199』当時は私も創作をやっていたのですが、その時のメモを見ると、基本的にサブタイトルは『2199』に近いスタイルで作成してありました。それだけ私は、このスタイルのサブタイトルが好きだったのでしょう。

〇『ヤマト』単推しとしてのモヤモヤ

しかし一方、ヤマトファンとしての私は『2199』のサブタイトルにモヤモヤも覚えていました。それが第2話「我が赴くは星の海原」との出会いです。古典SF作品をオマージュしたこのサブタイトルが、私の中にモヤモヤを残したのです。

第2話に限らず、いやサブタイトルに限らず、『2199』には他のSF作品へのオマージュが溢れていました。インターネットで交わされる感想、議論の中で、他作品の名前が挙げられる光景は、ありふれていました。

しかし、それを見た若き(笑)私は、こうも思っていました。

  • どうして『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクを作っているのに、敢えて他作品をオマージュしなければならないのだろう?

原作の『宇宙戦艦ヤマト』にも他作品へのオマージュが当然あって、ある意味で『2199』はそれを継承しているのだ、そう考えればいいのですが、当時の私は『宇宙戦艦ヤマト』に妙なプライドを持っていたのか、『2199』が他作品をオマージュすることにモヤモヤを抱いていました。その始まりこそ、第2話のサブタイトルだったのです。

それ以来、私は『2199』のサブタイトルに好感を抱く一方、どこかモヤモヤも抱いていました。

〇『2202』スタイルへの喜びと

それだけに、『2202』が第1話、第2話のサブタイトルで旧作をオマージュする姿勢を示した時、私は喜んでいました。そうだ、『宇宙戦艦ヤマト』なのだから『宇宙戦艦ヤマト』をオマージュすればいいじゃないか、と。それは痛快でさえありました。

ですが、センスとしては『2202』の旧作スタイルではなく、『2199』の詩的スタイルの方が好みな私。『2202』のサブタイトルは、旧作をオマージュする姿勢はいいけれど、やはり野暮ったさは拭えない……そんな想いも抱いていたのです。

〇私の中の最適解

では、『ヤマト』のサブタイトルに関する私の中の最適解とは、一体なんなのでしょうか。

『2199』の詩的センスが好き、『2202』の旧作オマージュも好き。この二つを総合すると、私の中での最適解は旧作『ヤマト』をオマージュしつつ、詩的で洒落た感じを出す、ということになるでしょう。

ならば「洒落た感じ」とは一体何か、ですが、これは感性に委ねることになりそうです。

例えば、私は『2202』であっても、第23話「愛の戦士たち」や第25話「さらば宇宙戦艦ヤマト」、第26話「地球よ、ヤマトは……」などは、旧作お馴染みの言葉をオマージュしつつ、かつ『2202』に当てはまるように作られたサブタイトルであり、洒落ているなと感じます。『2199』の詩的センスとは少し異なるかもしれませんが、旧作をオマージュしつつも旧作の雰囲気そのままではなく、新作、そして現代のセンスに合わせ込んでいく作業の末に生まれたサブタイトルこそ、私の中での最適解なのだと言えるかもしれません。