ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

なぜ宇宙戦艦ヤマトには議論が必要なのか

おはようございます。ymtetcです。

一昨日、珍しく「1日に2つ記事を書く」という慣れないことをやった結果、昨日は混乱して1日に2つの記事を投稿してしまいました。ちょっとズルいやり方ですが、誤投稿した方を取り下げまして、今朝投稿します。朝にしたのは、そのためです。今後は気をつけます。

 

では今日は、私が「宇宙戦艦ヤマトには議論が必要だ」と考える理由について、書いてみます。とはいえ、皆が議論をしなければならない、と強制するようなものではありません。ですが、今の2202はあまりにも「議論」とは程遠いものがあります。

一言で言えば、分断。

この現状は、どうにかして打破しなければならないと考えています。

何故ならば、議論なくして「最大公約数」は導けないからです。

出渕総監督も羽原監督も、更に言えば、復活篇ディレクターズカットの小林監督代行まで(!)、「100人いれば100通りの『俺ヤマト』が存在する」旨を認めています。

そこで、出渕さんは「最大公約数」を狙って2199を作り、羽原さんは割り切って「自分なりに」と2202を作りました。敢えて個人的な感想を述べるならば、この両者のアプローチはどちらも正しいと思います(特に「さらばのリメイク」をする上で、羽原さんのアプローチは間違っていないと思います)。

とはいえ、実現可能かどうかは別にしても「最大公約数」は一つの理想です。もしも可能であるならば、常に「最大公約数」を実現している状態が望ましいでしょう。

こうした時に、もし宇宙戦艦ヤマトを取り巻く人々が「棲み分け」の名の下に分断されていたら、「最大公約数」を成し遂げたいはずの作り手が迷子になってしまうのではないでしょうか。色々なことを言い合うファンたちの、どこを向いて作ればいいのか、分からなくなってしまう。そんなリスクがあります*1

特に、今の「宇宙戦艦ヤマト」には「唯一絶対神」がいません。この人の感性に、この人の作風に従っていればいい、そんな人はもういないのです。ですから、未来のヤマトはヤマトファンと、一般の「ヤマトファンではない」方々までを含めた「人々の反応」を探りながら、「最大公約数」を目指して作り上げていくしかありません。

ある時は、旧来の価値観を捨てて急進的なアイデアを採用し、ある時は、「ヤマト」を失わないような、王道を往く発想を。これはバランス感覚やさじ加減の問題で、誰しもが納得できる「正解」などあろうはずがありません。

しかし、この世界の中で、最も多くの人が納得できる「最大公約数」は、必ずどこかにあります。これを見つけていくために、ヤマトに関わるすべての人の間に存在する分断を、少しずつでもなくしていくことができたら……。

 

ちょっと宗教みたくなりましたが、これが私の個人的な願いでもあります。

ということで、これが今日の記事でした。昨日は一人で混乱して、申し訳ありませんでした。

*1:昔はこんな記事も書きました。考え方が変わっているのかもしれませんが、実際どうなのかは自分でもよく分かりません:ヤマト2202、批判用タグを考えてみよう - ymtetcのブログ