ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

2202が組み立てたプロット

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ヤマト2202を観た時に、このツイートで引用した部分のような「よくできたもの」に出くわすことがあります。そんな時、「よくやっているじゃないか」と、脳内の沖田艦長が囁きます。

もちろん、一つの作品が、冒頭と最終盤で一貫したプロットを保持し続けるのは当たり前です。ですが、これが意外に難しいものであることは、一度でも創作に挑戦した人であれば理解できると思います。当たり前を当たり前にこなすことができるのは、その作品がプロフェッショナルの手になるものであることの証明でしょう。

そこで今日は、冒頭で掲げたツイートに加えて、もう一つ、私が「よくできたものだ」と感じたヤマト2202の大筋、プロットを辿ってみます。

 

ヤマト2202は、「愛」をテーマに作られた『さらば宇宙戦艦ヤマト』のリメイクです。

2202が完結して以降、福井さんは「『さらばのリメイク』を作れ。でも主要人物は殺すな」という、いわゆる「お上」からの注文があったことを明らかにしました。

そして、これに加えて、福井さんはまだ、もう一つの重要なことを明らかにしていないように思います。それは、「『愛』をテーマにしろ」という注文です。

実は、彰司さんは2199の終わり頃、「『愛』をテーマにヤマトを作ってみたい」と述べています。その後に登場してきたのが『2202 愛の戦士たち』ですから、彰司さんから福井さんに、『愛』に関しても注文が届いていて不思議ではありません。

ですが、この「愛」は曲者です。フィクションの中では使い古されたテーマであり、単なる「愛し合う」とか、復活篇の「愛のために戦え!」などでは、「安っぽい」との批判を受けること間違いなし。これを取り扱うには、2202に限らず、今後も細心の注意を払うべきでしょう。

この「愛」に対して福井さんは、極めてシンプルな読み換えを行いました。「愛」を、「(時には非合理的でさえある)人間の感情」としたのです。この簡単な読み換えによって「愛し合う」「愛のために戦う」ということをも含めながら、それらとはまた少し毛色の異なるアプローチで、物語の大筋を組み立てることができました。

そして、2202では主人公と対置した存在として、「『愛=感情』を否定する人間」を登場させました。1話から26話までを通じて登場したガトランティス(確かな感情を持ちながら、それを否定し続ける人びと)や、19話から22話の間でフィーチャーされた銀河クルー(効率のために、感情を捨てようとする地球人の象徴)は、主人公である「宇宙戦艦ヤマト」と、そのクルーに対置された存在です。

そして、2202は結論として「感情を持つ人間にしかできないこと」を描きました。25話における滅びの方舟の消滅、26話における「奇蹟」は、「感情を持つ人間にしかできないこと」が積み重なった結果です。

 

「『愛=感情』を否定する人間」を主人公と対置した存在として描きながら、最後には「『愛=感情』を持つ人間にしかできないこと」を描いてみせる。このプロット整理はとてもシンプルかつ、普遍的に「愛」を取り扱った「よくできた」ものだと思います。

2202の本編上において、最後のセリフとなったテレサ*1のセリフは、「愛=感情=心」を取り扱った2202の、象徴的な言葉だと言えるでしょう。

「星は、ただそこにあるだけ。人だけが、その存在に、意味を与えられる。美しいと感じる心をもって……」

*1:ズォーダーのナレーションは、色々な意味で評価が難しい