ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

2202をめぐる「賛否」の人々は、分かり合えるかもしれない

こんばんは。ymtetcです。

ymtetc.hatenablog.com

本来ならば、この記事に私の個人的な願いを書いて終わり、だったのですが、もう一つ、私が個人的に考えていることが浮かんできましたのでまとめておきます。以下では「ヤマトファンにはこう言う人が多いように見える」という話をしますが、あくまで私の視界に入ってくる人々の話ですので、実態と乖離している恐れもあります。その点は、予めご了承ください。

さて、2202は見事に賛否分かれました。客観的な評価点としては、5段階中の2.5~3が妥当なのかな、なんて考えています(私自身の評価は別として)。

これに加えて、私には2202を巡って、ファンが賛否に分断されているようにも見えます。このネット世界では、自分と意見が食い違う人、自分にとって不愉快に思われる言葉遣いをしている人と、無駄に付き合う気力のある人間は少ないからです。

そこで、少しでもお互いに不愉快にならない表現を模索しませんか。そんな少し不遜な態度の記事が、冒頭に引用したものでした。

 

とはいえ、私には、この分断された賛否にあっても、実は以下のような人達が大半であるように見えます。

◯賛:2202が好き、2199も好き

◯否:2202が嫌い、2199は好き

皆様の実感はいかがでしょうか。私の実感は、この通りなのです。

こう考えてみると、「賛否」の人々は、たまたま「2202」という一つの作品を巡って賛否が分かれているに過ぎません。ものすごく乱暴な言い方をすれば、2202さえ存在しなければ、対立することはなかった人同士なのです。

そうすると、今後のヤマト作品が登場した時に、この両者は分かり合える可能性があります。何故なら次のヤマト作品は、当然ながら「2202」ではないからです。

ネット上では、色々な人と簡単にコミュニケーションが取れる故に、簡単に拒絶することもできるようになっています。特にミュート・ブロック・NGをしますと、今後その人の意見や主張を目にすることも、その人と関わることも、ほとんどありません。

ですが、2202というたった一つの「宇宙戦艦ヤマト」を巡って、2199の頃は「同志」であったはずの人々が分断されているとしたら。

 

私には、とても勿体ないことのように思えます。もしかしたら、次の「宇宙戦艦ヤマト」では、分かり合える人なのかもしれないのに……。