ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】「波動実験艦銀河」のドラマ完成への紆余曲折

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、ナミガワ様にいただいたコメントの考察を紹介しました。

前回の記事の最後で、私は「『2202』における『愛の勝利』とは『共生(ともに生きる)の勝利』だ」というようなお話をしました。第六章のドラマの肝は銀河やアンドロメダが戦闘で敗北・消滅しないことにある、というナミガワ様の考察に同意・便乗した形です。

ですが、『シナリオ編』を読むと、第六章のドラマは初めからこの形ではなかったことが分かりました。今日はこのことを紹介する記事、という位置づけになります。

では、「構成メモ」の「ヤマト級二番艦」から「銀河」に至る道筋を追ってみましょう。

2015年7月31日

ヤマト級二番艦、ムサシ。時間断層の中で密かに建造されていたそれが、ヤマトのシルエットを持ちながらより未来的な意匠をまとって出現する。島たち旧ヤマトクルーがこれに乗り込み、まさかの主人公メカ交替劇を演出しながら、しかし実はヤマトは次元の壁の向こうで生き残っていた、という流れ(雪の記憶喪失劇をこのへんに絡めて、すべてを失った古代の復活劇を描くのもいいかもしれない)。

全地球人類を人質に取り、テレサに封印を解くよう迫るズォーダーと、それに必死の抵抗を示すムサシとアンドロメダ。しかしアンドロメダは沈み、ムサシも大破して、いよいよ最期という時に再びヤマトが現れる。

(『シナリオ編』234頁。)

これが「ヤマト級二番艦」の初出です。ここでは、「ムサシ」とアンドロメダの退場劇として、それぞれ大破と撃沈という結末が用意されていることが分かります。

2015年11月20日

(略)

ヤマト級二番艦、銀河の出現。残され組のヤマトクルーらも乗せ、白色彗星の前に躍り出た巨艦の背後には、バレルの尽力で動いたガミラス艦隊の姿もあった。

ヤマトに似たシルエットを持つ艦を旗艦にして、ガミラス艦隊が地球を背に隊列を組む歴史の皮肉。それを笑う余裕のある者はひとりもなく、ガトランティスとの第二回戦の火蓋が切って落とされる。

(『シナリオ編』261~262頁。)

(略)

ヤマト一隻を救うために、銀河を喪失の危機にさらすのは人類にとって得策ではない――理屈ではあるが、理屈でしかない言葉。ここで声をあげたのは、誰よりも論理とメカニズムを愛しているはずの真田だった。機械の言うことなんぞ聞いていられるか! とAIの制御を切るや、島に前進を命じる真田。言われる前に舵を切っていた島の操艦で、銀河はヤマト救出のために彗星帝国に猪突する。

(『シナリオ編』265頁。)

ここでは既に「銀河」となっています。AIに対して真田が声を上げる構図は同じですが、ここでは、真田たちが銀河を乗っ取るという結末が用意されています。藤堂早紀や彼女の成長をめぐるドラマはまだありません。

ただし、山南とアンドロメダ、土方の「生きて恥をかけ」というドラマは既に大枠ができています。『2202』の「愛=『共に生きる』の勝利」という構造はこの時点で存在していたと言えるでしょう。

この次は

というと、この次はありません。この次は、脚本第二稿『悪夢からの脱出!(仮)』になっており、この時点では藤堂早紀も含めて『2202』第21話のドラマが完成しています。

銀河に注目すると、銀河のドラマは「大破による退場」から「ヤマトクルーによる乗っ取り」へと変わり、最終的には「藤堂早紀の選択」に落ち着くことになりました。

この「藤堂早紀の選択」というドラマは、地球人類からも「愛」を否定するガトランティス的な発想が登場し得ること、そしてその思想をどう乗り越えるか、という場面を描けたことや、『2202』ではそれまで影の薄かった藤堂平九郎にも焦点を当てられたということで、『2202』のシリーズ構成上大きな意味を持つドラマだと私は考えています。

しかしそれが構成メモという「幹」の段階ではなく、脚本という「枝」の段階で初出だった、ということが意外に思えましたので、今回はこれを紹介する運びになりました。

私はつい、福井さんを肯定するあまり、『2202』の悪い点を監督や副監督に押し付ける、というあまり良くない癖があります。

ですが、今日みてきたように、良い面も悪い面も、一体全体いつ、どのタイミングで、誰のアイデアで持ち込まれたのかは分かりません。

便宜上、私は「構成メモ」は基本的には福井さんのアイデアによる(「福井晴敏」の名で掲載されているため)ものと仮定して『シナリオ編』を読んでいますが、その『シナリオ編』自身にも書いてあるように、『2202』のシナリオは幾多の会議を経て完成したもの。

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『2202』を語る際には、つい主語を「福井さん」としがちな私ですが、これからは「『2202』」という作品を主語にして語っていく必要を、今回痛感しました。