ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】国民投票は「粋」であり「無粋」

こんにちは。ymtetcです。

過日、『さらば宇宙戦艦ヤマト』を再見して気づいたのは、『2202』最終話の解釈です。

『さらば』ラストシーンに答えるという「粋」

『さらば』ラストシーンには、こんなテレサのセリフがあります。

あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と、宇宙のために働くことでしょう。

古代進の行動が、生き残った人々に「勇気と愛」を与え、人々は目覚める。テレサはそう語りかけ、古代を導きます。

ここで疑問として浮かぶのは、では実際に、古代と雪の死によって救われた地球人類は「目覚め」たのか?ということ。

さらにいえば、『さらば』という映画に感動した子どもたちは、あれから40年経って、「より美しい地球と、宇宙のために働」くような「勇気と愛」に満ちた人生を歩んでいるのか?ということです。

これが問われたのが「時間断層という国益を犠牲に、古代進を救出する」か、「古代進の救出を断念する代わりに、時間断層を放棄する」かを問うた、あの「国民投票」だと言えます。テレサの提示した「勇気と愛」による答えが前者、大人として利益を重んじて大勢の命と暮らしを守る答えが後者、そんな対比が『2202』では為されています。

福井さんは、『さらば』から40年経って大人になったヤマト世代が「前者を選べなくなっている」ことを承知の上で、"人々"が前者を選び取るラストシーンを描きました。

このように、『ヤマト2202』の「国民投票」とは、『さらば』のテレサに対するアンサーであり、さらには、画面の前のヤマト世代に対して「『さらば』から40年、あなたの人生は今、どうなんだ?」と問いかけるような構造になっていたのではないでしょうか。

その意味では、最終話の「国民投票」こそ、『2202』の「『さらば』のリメイク」としての核となるシーンであり、『さらば』のラストシーンに40年越しに答えようとする「粋」なプロットだったと考えます。

『さらば』の先を描くという「無粋」

しかしながら、『さらば』のラストシーンは、"その後"が描かれてないことに魅力があります。

ヤマトが画面の向こうに消えていった先で、何が起こったのか。それが描かれないからこそ、観客は古代進を「見送る」立場にたって、古代の行動の意味を受け取り、映画館を出た後の人生に、少しの変化を加えることができる。

古代の行動を肯定するかどうかも、古代の行動をどう捉えるかどうかも、主導権は観客の側にあります。だからこそ、ヤマトはこれからも「あなたの胸に」「生きている」と言える。これが『さらば』のラストシーンの懐の深さです。

これに対して『2202』は、古代進の行動の意味も、そして評価も、全て福井さんが提示した受け取り方で、福井さんの考えに基づいて描かれます。『2202』は、『さらば』と比べて解釈の幅が狭くなっており、主導権は(観客ではなく)福井さんのほうに寄っています。

その意味で、『2202』は「『さらば』のリメイク」として、敢えてぼかしてあったラストシーンに具体的な意味と評価を与える、いわば「無粋」なことをしたと言えるでしょう。

 

いずれにせよ、福井さんの『2202』アプローチは、エネルギーをもって『さらば』に向き合った結果であることは間違いありません。

ただ、その上で、福井さんのアプローチが正解だったかどうか?

それこそが、『2202』をめぐって最も重要なトピックではないかなと、私は思います。