ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト2199』第1話の思い出

こんにちは。ymtetcです。

10年以上にわたって続いてきたリメイク・ヤマトには、多種多様な思い出があります。初めて『ヤマト』を地上波放送で観た『2199』テレビ版、受験期に繰り返し観た『方舟』、大学生活と共にあった『2202』、社会人として初のヤマトだった『時代』と『2205』。

しかし特別なのは、2012年4月に観た『宇宙戦艦ヤマト2199』第一話です。

あれは高校の入学式の日、ファミリー劇場でした。

宇宙戦艦ヤマト』なのに「今っぽい」

私の記憶が正しければ、既に冒頭10分は公開済みで、私も観ていました。物議を醸した「ゆきかぜ乗組員の歌」は私には刺さらず、少し不安な気持ちでAパートを終えたことを覚えています。

しかし、それは全くの杞憂でした。

「無限に広がる大宇宙」をバックに流れるナレーションは(旧作と異なる)”女性”という変化球。しかし、映像は随所で旧作を踏襲している。しかもナレーションは、従来の『ヤマト』にはない「子供たちへの読み聞かせ」という建付け。私は徐々に、『2199』のリメイクとしての面白さに引き込まれていきました。

何より嬉しかったのは、『2199』が「『ヤマト』っぽい」お約束を随所に残しながらも、「今っぽい」作品であったところです。現代アニメのお約束的な”メガネキャラ”、しかもそれが南部。いわゆる「アニメ声」を持つ原田真琴。沖田艦長を「沖田提督」と呼ぶ古代進に、『2199』の設定へのこだわりも感じて。

今思えば、人権的に褒められた見方ばかりではありませんが、当時の私はそうでした。

「私のための『ヤマト』」

それはあたかも、『宇宙戦艦ヤマト』が「初めて自分に矢印を向けてくれた」ような感覚でした。旧作通りの「夕日に眠るヤマト」とエンディング「星が永遠を照らしてる」の新旧共演は、『宇宙戦艦ヤマト』を『宇宙戦艦ヤマト』のまま、私たちの世代に届けてくれたような感覚がありました。

その後リメイクヤマトは、第四章以降は旧作のような「熱さ」を重視する傾向が強くなり、徐々にこの「私のための『ヤマト』」という感覚は薄れていきました。今は、あの第三章までの雰囲気で『2199』が進んでいたら、どうだったのかな?と時々思います。

ですが、『2199』後半から『方舟』、そして体制変更後の福井ヤマトと、徐々に旧作へと回帰していく方針に転じていったのは、悪いことばかりではありません。

実は『2199』最初期、近くで同じ作品を観ていながら、全く興味を示さなかったのが、ヤマト世代の父でした。しかし、『2199』が後半になり、その「熱さ」が増していくにつれ、興味を示してくれるようになったのです。きっと父は父で、前半の『2199』は「私のための『ヤマト』」ではなかったのだと想像します。

こうして我が家では、『ヤマト』が「家族の一部」になりました。初期の爽やかでクールな『2199』がとても好きでしたが、私自身の経験から言えば、その後の旧作ファンを意識した作風も、とても大切な思い出を届けてくれたな、と思います。