ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

私的宇宙戦艦ヤマト2202論 その5 ―2202は「後期2199」の続編!?―

昨日までの記事を読み直すと、なかなかひどいものがありますね。

結局何が言いたいねーん、という。

ともあれ完了主義で気楽に練習していきたいなと思っている次第であります。

今日は2202のお話です。

標記の、

2202は「後期2199」の続編!?

というのは私の仮説に過ぎませんが、何故私がこの仮説を立てたのかを今日は主題にしたいと思います。

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」という作品が、さらば・ヤマト2・ヤマト2199の三つの要素を持つ(さらばが原作、ヤマト2がネタ元、2199の続編)ことは、以前お話した所です。

ではここで、第四章までに2202がどんなこと中心にやってきたか、前回までの「イベント列挙方式」でざっくり振り返りたいと思います。

  • 地球ガミラス連合 VS ガトランティス
  • 波動砲艦隊構想(イスカンダルとの約束に違反)
  • 死者の呼びかけ
  • 謎のガミラス人青年・キーマン
  • テレサの伝説
  • 時間断層(歪んだガミラスとの同盟関係)
  • 地球に残された旧ヤマトクルー
  • ヤマトを支援するバレル大使
  • 桂木透子
  • 指揮官としての覚悟を示せ!
  • お前の愛を示せ!
  • 古代 VS 斎藤始
  • ヤマトに興味のない野心家デスラー
  • 愛の戦士たち・ズォーダーとサーベラー
  • 「すまぬ、ノル……」遂に人を殺めた波動砲の一撃、そして古代の涙
  • 滅びの方舟
  • テレサに呼ばれし男・デスラー

独断で「これが中心だったやろ!」と列挙してみたのですが、改めて各話のストーリーを振り返ると、もっと他に挙げるべきはあったのかもしれません。

ここで、仮説にもう一度立ち返ってみましょう。

以上に挙げた2202のイベントは、かなりの割合で2199の影響を受けていることが分かります。福井さんが2202を語る時必ず「さらば」を中心にしているのにも関わらず、です。

例えば2199では、旧作と異なり地球・ガミラスが協調関係で結末を迎えます。これは「前期2199」の段階でもその可能性は十二分に感じられてはいましたが、特にデスラーが暴走して失脚する「後期2199」で確定しました。よってこの流れを汲み、2202ではガミラスと地球の同盟関係から物語はスタートします。

一方、ガミラスの現政権から離れ、独断でヤマトを追いかけたデスラーは、戦いに敗れ(25話)ガトランティスに回収されます。流れそのものは旧作と変わりませんが、2199の時から「なぜデスラーはヤマトを追いかけたのか?」という疑問は拭い去れませんでした。旧作では国を滅ぼされた復讐、という側面があるのですが、2199のデスラーは自らの大義のために臣民を撃とうとした男です。しかし2202の第四章では、これを逆手に取った設定が明らかになります。「ヤマトなどどうでもいい」という台詞です。デスラーは一通りヤマトとの再会を楽しみながら、ガトランティスを欺いて反乱を起こします。そして自らのもとに終結したガミラス艦隊と共に、テレザートへと向かうのです。

謎めいた青年・キーマンと暗躍するバレル在地球ガミラス大使の存在や、時間断層をガミラスとの政治経済関係の構築に利用する地球政府の闇なども、2199の設定をうまく活用した例と言えるでしょう。

続いて、波動砲問題についてです。

2199で波動砲を封印され、24話以降は星巡る方舟に至るまでオレンジ色の蓋を付けたままヤマトは航海を続けました。

一方2202では、波動砲封印問題は約束を守ろうとしない地球政府にヤマトクルーが反発心を抱く、というドラマを序盤に作り出しました。「さらば」の地球復興に対するある種の高度経済成長期的(福井さんもそう仰ってます)な描写というのが受け入れがたい現代において、イスカンダルとの約束を守らない地球政府と、時間断層という尋常ならざる技術の元建造される波動砲(=大量破壊兵器)艦隊にヤマトクルーが反発していくという構図は、非常に受け入れやすいものでした。これも、2199の設定が上手く活用されていますね。

ここまでにおいて登場した時間断層という設定も、2199の設定から着想されたものと見ていいでしょう。岡秀樹さんが考えたというこの設定は、2199が初出のコスモリバースシステムという技術の遺産、という設定であるのみならず、「方舟」に登場した「大和ホテル」が”外で数時間が経つ間に中で7日間が過ぎる”という舞台であったことと通じるものです。

話がそれましたが、波動砲問題は特に主人公・艦長代理となった古代進の肩にのしかかります。艦長代理として、沖田艦長の代理として、波動砲を撃つか撃たないかという判断を示される状況に陥った古代君に、霊体として現れた沖田艦長は「覚悟を示せ」と告げました。それに対して古代君は「覚悟って何なんですか!」と応じます。

2199の古代進は、沖田艦長に導かれ育てられたという訳ではありません。師弟関係のようなものはありましたが、基本的には背中を見て育ったという方が適切でしょう。だからこそ、霊体の沖田艦長(主体はテレサかもしれませんが)とのやり取りが生きてくるのだと思います。

さて、最後に2202で言及されているアケーリアス文明について考えてみます。完結編のアクエリアスを元ネタとするこの「創造主の文明」とでもいうべき新設定は2199から登場しました。全ての種は同じ文明から、という考え方は、2199のテーマである「分かりあえる」を補強するものとして登場しました。

2202でも繰り返しアケーリアス文明の設定は用いられてきましたが、特に2199との繋がりの中で大きく発展させたのが「滅びの方舟」という設定です。

2199では、ジレル人達は種の生存を図る為に「星巡る方舟」を用いていました。

2202では、ガトランティスは宇宙の全ての種を滅ぼす「滅びの方舟」を目覚めさせてしまった、という設定が語られています。ガトランティスの目的が生存ではない、とも。

これはおそらく対になっている設定でしょう。2199では、ガトランティスが静謐の星(「方舟」)を求めていることが明らかになっていました。憶測ですが、2199のガトランティスはあくまで「滅びの方舟」を探していたのかもしれませんね。

さて、本日はここまで、2202が2199の設定を上手く活用しているという点を繰り返し指摘してきました(森雪に関してはまだ2202でも結論が出ていないので割愛します)。

では仮説に立ち返りましょう。

今日紹介した、2202が活用しているという2199の設定は、おおよそ「後期2199」時点での表現をベースに活用されています。デスラー波動砲・方舟。皆「後期2199」で強調されたものばかりです。

また2202の真田さんを「2199の科学者というよりは旧作の人情系っぽい」といった趣旨で批判されている方もいらっしゃいますが、これも「後期2199」特に最終回でのコスモリバースシステムを介した古代守との再会が、真田さんを変えたのだと見ることもできます。古代進に「コンピューター人間」と称された真田さんはあくまで「前期2199」のものだった、というのが私個人の見解です。余談ですが、付け加えておきたいと思います。

2202が「後期2199」を受け継いでいるということは、続編としては至極当然のことであるとも言えるでしょう。しかし、2202を見る際に「前期2199」とのギャップに苦しんでおられる方をしばしば見かけます。「後期2199」は「前期2199」に比べるとかなり旧作に寄った、すなわち2202とのギャップが小さい作品であると私は考えています。2199を二つに分断してしまうというのは決して良いことではありませんが「2202は2199の後半部分を受け継いだのかな」と思って作品を見ていくと印象が変わることもあるかもしれない、ということは、是非念頭に置いていただきたい所です。