こんばんは、ymtetcです。
昨日の記事にたくさんのコメントを頂いています。既に全て目を通しておりますが、返信にはなお時間を要するかと思います。返信が完了した際にはまた告知しますので、よろしくお願います。
では今日は、第六章ブルーレイの特典として収録されている第20話のオーディオコメンタリーから、福井さんと『星巡る方舟』の、少し興味深いお話について考えていきます。
目次
2202のオファーを受けたタイミング
福井さんがオファーを受けたとされる時期について、これまで私は確証を持てないでいました。「2199の終わり頃」「2013年」「オファーは2回」といった情報が様々にある中で、2199と2202の間にあった方舟との位置関係はどうだったのか?など、確信を持てないでいたのです。
ですが、今回のオーディオコメンタリーでおおよそ、理解することができたと思います。
福井
甲斐田さんは方舟の時からの登板ということで。俺的には、方舟の時は「もしかしたら(ヤマトを)やるのかな」ぐらいな感じで観たんで、キャストに(甲斐田さんの)お名前を見出した時は「あー、これはきたな」と。これはもういっぱい出てもらわないと困るなと。
これを、オファーを出した主体である彰司Pの発言と組み合わせると、
西﨑:福井さんのことは以前から注目をしていまして、特に『ガンダムUC』は大ヒットしていて、羨しいなと思っていました。そこで関係者を通じて紹介していただいてお会いすることになりました。1回目は結構……大作家なのでもったいをつけられましてね(笑)。とりあえず話は承ったみたいな。
福井:そんな偉そうなことを言った覚えはまったくないんですけど(笑)。
西﨑:ちょっとは盛らないとおもしろくないので(笑)。それで2回目にお会いした時に快く受けていただきました。僕の個人的な意見ですけど、映像作品というのはやはり物語が一番大切です。これがある程度感動をよぶものでないと作品の行方は非常にあやふやになってしまう。我々もそこで勝負できない。お金を集めた責任、リクープしなくてはならない責任がありますので。本当に凄い奴に出逢って僕は良かったと思います。
- 1回目のオファーは方舟以前(もったいをつけられた)
- 2回目のオファーは方舟以後(快諾)
こういう位置関係が見えてきますよね。
方舟→2202の方針転換
甲斐田
このサーベラーとかズォーダーの設定は全部福井さんが考えたんですか?
福井
そうですね。これに関しては。
甲斐田
デスラーも?
羽原
デスラーもそうですね。
甲斐田
作戦会議とかがあって?
福井
もちろん作戦会議があって。で、毎回俺が悪だくみの計画書を持って「こんなのはどうだ」「あんなのはどうだ」(とやる)、(それに対して他の人から)「それはやろう」「それはやりすぎだ」「ふざけるな」(と言われる)その3段階で選ばれるわけで……
甲斐田
方舟の時はまだ(設定が)なかった?
羽原
そうですね。(2202のような)設定はなかったですね。
甲斐田
それ(2202)をやる時に?
羽原
2202をやる時に改めて作ったということですね。
福井
方舟の時って、なんだろう、割と「蛮族」みたいな、「蛮族とその女首長」みたいな感じだったじゃないですか。でも今回は大元のオーダーとして昔のやつみたいに荘厳な、巨大な敵にしてもらいたいというのがあったんで、じゃあ、既に現れているものとの整合性をどうやってつけていくか? というところで、今回のこの、ちょっと複雑なんだけれども、でもまぁそういうことなら納得できなくもない、みたいなというのを考えみたという感じですね。
甲斐田
納得でき……ます。
福井
できましたか。よかったです。
また、もう一つ分かったのは、2199や方舟の「蛮族」設定を変更するというのは「大元」、言うなれば2202製作委員会の方針として決まっていたということです。
2199から2202へ
ヤマト2199から2202に至る流れの中で、その方針が転換されているということは皆さん実感されていることかと思います。
小林メカや大味な演出・設定に対する非難にせよ、先の読めない展開やデスラーの復権に対する称賛にせよ、2199から2202にいたる方針転換の産物、すなわち両作品の違いがひとつの大きな論点になっています。このような違いは、スタッフの力量とスタイルに由来するものであることは言うまでもありませんが、制作にあたっての根本的な方針の違いであるとも考えます。
以前コメント欄で「2199製作委員会と2202製作委員会は異なる」という的確な批判をいただきました。確かに、企画プロデューサーの一人であった西崎彰司氏が「製作総指揮」になっている、すなわち彼が2199に比べてより強いイニシアチブを握っている、という点にも表れているように、2199と2202の製作委員会は全く同質であるとは言えません。
しかしながら、口頭での何気ない会話にせよ、方舟以前、すなわち2199製作委員会が動いていた時期に、彰司Pが福井さんにアプローチしていたという事実は興味深いと思います。
参考までに、彰司Pのメディア露出(除「航海日誌」「映画パンフレット」)について軽く調べてみました。
<2014年4月21日>
「宇宙戦艦ヤマト」新作劇場版は『星巡る方舟』!総集編と連続公開! - シネマトゥデイ
<2014年9月8日>
『宇宙戦艦ヤマト』がハリウッドで実写映画化决定、西崎彰司は製作総指揮に | マイナビニュース
<2014年10月11日>
『宇宙戦艦ヤマト2199』西崎彰司氏&ヤマトガールが嚴島神社にてヒット祈願 | マイナビニュース
<2016年3月31日>
アニメ『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』が制作決定!福井晴敏氏がシリーズ構成・脚本 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
このように、方舟と前後してメディア露出が増えているんです。
2199完結以後・方舟公開以前に彰司Pが福井さんにアプローチしていることを踏まえると、このメディア露出の増加は、その後彼が「製作総指揮」となり、実際に2202へ福井さんが参加したことと地続きな関係がありそうです。
少なくとも言えることは、福井さんの言う「大元」の中に、早くも方舟公開以前から「2199から方針転換する」ベクトルが存在していたということでしょう。
その動きの中心となったのが後に「製作総指揮」となる彰司さんだった、のは事実です。しかし、それを主導していたのか、その主張に賛同しただけなのか、それ以外なのかという、事実をここから判断することはできません*1。
また今日、このことを考えていて、気になったことがあります。
出渕さんは方舟の時、「今後は方舟次第」と言っていましたよね。ですが、この福井さんの証言を見るに、続編計画は2199の成功を受けて既に動き出していたということ*2。
これは完全な推測ですが、出渕さんが言っていたのは「続編の有無」ではなく、「続編の方針」だったのではないでしょうか。もしかしたら方舟は、「出渕さんの続編プラン」を採用するか否かの試金石になっていたのかもしれませんね。