ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

ヤマト2202のSF設定って全て間違いなんですか?――新仮説その3

こんばんは。ymtetcです。

某仕分け人の声で再生されそうなタイトルを付けてみました。

今日も副監督ツイッター関連ネタです。

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スタッフは舐めてんのか? - ユーザーレビュー - 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち/第五章 煉獄篇 - 作品 - Yahoo!映画

ヤマト2202のSF設定、科学設定は滅茶苦茶だとよく言われています。私自身はそれを検証するスキルを持ち得ませんが、2202のSF・科学設定が滅茶苦茶であることを実感したのは第三章です。

思い出話をしましょう。2199の第三章第10話で、ヤマトが脱出してきた開口部にガミラス艦隊が吸い込まれ、ほぼ全滅するシーンがありました。

それを見た時、私は思わず「は?」となりました。納得がいかなかった。これでは都合よく敵艦を誘爆させた旧作や復活篇と変わらないじゃないか、と。真田さんに理屈を語らせていれば見逃してもらえると思うなよ、と。

ですが、今は納得しています。それは公開直後から、こういった私のような不満を持つ人々に対して、知識を持っているファンがそのシーンの「正しさ」を解説してくれたからです。

さて、2202に話を戻しましょう。偶然にも同じ第三章で、私は同じ出来事に遭遇しました。惑星規模の質量??投入すれば??弾き出される??そんな都合の良い話……と。真田さんに理屈を語らせていれば(略)、と。

そして、今も納得できていないんです。何故って、誰もこのシーンを「正しい」と解説してくれないから。なんという他力本願……*1なのは置いておいて、皆がこのシーンに対して「おかしい」と言っている現状では、到底納得のしようがありません。

この第三章に限らず、2202のSF設定や科学設定が「正しい」と言われているようなシーンを私は見たことがありません。第六章冒頭のシーンが科学的に正しいのかという議論が当ブログのコメント欄で交わされた時、Nzawa様の「正しいのでは」という意見を見た時には感動すら覚えました。

さて、ここで私が考えてみたいのは「なぜそうなったか」という部分です。

副監督による「反SF設定」

 

from:makomako713 考証 - Twitter検索

from:makomako713 科学設定 - Twitter検索

この辺りをご覧になれば、副監督の半ば陰謀論じみた「SF設定」担当者批判と、両者の相剋が読み取れるかと思います。

ちなみに副監督は「SF設定」「科学考証」を混同しているようですが、厳密に言えば両者は区別されるべき存在のようです。

 

SF考証エスエフこうしょう)は、SF作品で描写されている内容が、SFにおける約束事や、科学の基本的な原則に従っているかを検証する作業である。科学考証と違い、科学的には嘘であってもそれらしく辻褄を合わせるなどすることから、「考証」の語を避け、「SF設定」とすることもある(『機動戦艦ナデシコ』など)。時代劇における時代考証に似ている。

SF考証 - Wikipedia

2202でSF設定を担当しておられる方は福井さんとの縁で参加しているようですから、いわば「福井さんの描きたい内容がSFにおける約束事や、科学の基本的な原則に従っているかを検証し、科学的には嘘であってもそれらしく辻褄を合わせたり、修正したりする」作業を担っている方だと言えるでしょう。

さて、副監督のツイートですが、これらのほとんどは事実と異なる、と考えた方が妥当かと思います。少なくとも読み取れるのは、両者に意見の対立があるということです。

この辺のディスコミュニケーションが、2202の設定に悪影響を及ぼしている……という部分については、以前にも記事にしています*2

今日はこの分析を逆手に取ってみましょう。

「SF設定」の行き届いた所

具体例を挙げてみようと思います。

https://twitter.com/makomako713/status/1064715579003613185

https://twitter.com/makomako713/status/998842543231057920

特に、二つ目について考えてみましょう。

「最後の遺産」という妙な表現は気になりますが、この辺りの表現にセンシティブに反応する必要は今はありません。それよりも、「後ろから押されてワープ」というギミック――恐らく第11話のもの――は「SF設定」による辻褄合わせの産物だということが分かります。ですが、このシーンにはこんな痛烈な批判が。

ヤマトに非ず、SFに非ず、ク〇でも食らえ! - ユーザーレビュー - 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち/第四章 天命篇 - 作品 - Yahoo!映画 *3

このシーンを「正しい」という人はほとんどいません。

一方で、「SF設定」の担当者を叩く人もほとんどいない。

ここに、一種の隙間があります。

この隙間を埋めようとして副監督は馬鹿げた陰謀論に手を染めているわけですが、この隙間を埋める方法は他にもあります。

それが、今日考えてみたような

  • 「SF設定」が反映された部分と反映されていない部分を区別する

ということです。

「SF設定が反映された部分ならば、ある程度は正しいのではないか?」という仮説を立てて、その角度から2202を捉え直すという視点が私は必要だと思います。

SF設定の反映された部分が正しいならば、担当者が叩かれる筋合いはない。反映されていない部分が間違いならば、反映させなかった人間――監督と副監督――が叩かれて当然。

こうすれば、少しずつ隙間を埋めていくことができるでしょう。

ちなみに、科学考証の担当をおかずに「辻褄合わせ」のSF設定のみ置いた、という2199とは異なる2202のスタンスが批判されている側面もあると思います。ですが、2202批判は「SFとしておかしい」という部分にまで踏み込まれています。2199の続編として、ではなく「SF作品として成立しているか」という部分がまずは問われるべきと私は考えます。

 

 

*1:納得していないくせに自分で検証しようとしないのは、私がヤマトにおいて元々SF設定だの科学設定だのを重視していないことの表れでもあります。

*2:「2202は2199の続編なのか?」そして、「私の2202座標」について - ymtetcのブログ

*3:どうでもいいんですが、低評価レビューのお役立ち度が高いのって2199もそうなんですよね。何故なんだろう?