ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

ヤマトと副監督をめぐる「好き」と「嫌い」

こんばんは。ymtetcです。

以前書いた「副監督叩きは〜」「副監督礼賛は〜」という二つの記事を覚えていますでしょうか。

副監督叩きはヤマトファンのすることなのか? - ymtetcのブログ

副監督礼賛はヤマトファンのすることなのか? - ymtetcのブログ

あの時私は「ヤマトファンと小林誠アンチ/小林誠ファンは違う存在である(ただし兼任も可)」と書きました。

この議論の原点は、副監督を取り巻く言論に対する違和感があります。

例えば、東京オートサロン小林誠デザインに対する称賛。称賛自体はいいとしても、その人が単に「ヤマトファン」だけを自称していると、何だか違和感が残ります。「あなたはもう、小林誠ファンなんじゃないか?」と。

他にも、WOWsの小林誠コラボデザインに対する批判。批判自体はいいとしても、「ヤマトファンとして」これを批判することには違和感があります。ヤマトとは無関係だからです。WOWsの小林誠コラボデザインを批判する人は、WOWsのファンか、あるいは小林誠のアンチということになるでしょう。

 

今日は、以前の記事で考えた議論を、もう少し分かりやすい形で書いてみたいと思います。

 

ヤマトと無関係な所で、小林誠を批判する。

もちろん、これは全く悪いことではありません。しかしこの時、自分の中で「好きと嫌いの逆転現象」が起きていることを自覚しておく必要があると思います。

 

例えば、小林誠メカを批判する人の多くは玉盛メカを褒めます。ですが、玉盛さんの他作品まで褒める人は少ない。それはあくまで「ヤマトファンとして」玉盛さんのヤマトメカを支持しているという要素が大きいからです。言い換えると、玉盛さん個人に対する「好き」よりも、ヤマトに対する「好き」の方が大きいから、ということ。

もちろんこの背景には、玉盛さんが従来のヤマトの世界観を大切にし、それを活かすデザインを考えている、というのもあるのですが。

 

一方小林誠メカは、良くも悪くも世界観を小林誠カラーに染め上げていきます。ここに、ヤマト作品に登場するメカでありながら、「小林誠メカが好きか嫌いか」という別の論点が生じてきます。

こうして2202は、ヤマトメカの枠組みを超えて小林誠メカ、小林誠デザインに対する「好き」と「嫌い」が渦巻くようになりました。

 

この時、「嫌い」を選択した人の中で起きているのが「好きと嫌いの逆転現象」です。

この人が小林誠メカを「嫌い」と感じた理由は何か。それは一言でいえば「ヤマトが好きだから」です。しかしこれは、あくまで起点にしか過ぎません。

もしWOWsの小林誠デザインを見て、不快感を覚えたら。

もちろん悪いことではありません。しかし、その気持ちの根底にあるのは「小林誠が嫌い」という感情であることを自覚すべきでしょう。

言い換えるならば、WOWsの小林誠デザインに不快感を覚えたその時、ヤマトに対する「好き」よりも、小林誠個人に対する「嫌い」の方が大きくなっているということ。

 

副監督のような個人を批判する時は、これを自覚すべきだと考えます。

何故なら、小林誠個人に対する批判を「ヤマトが好きだから」という理由だけに限定してしまうと、それは、「ヤマトファン」の枠組みを狭める排他主義になってしまうからです。

言うまでもなくヤマトファンですから、「ヤマトが好きだから批判する」という側面もあります。しかし、自らの個人批判の理由を単に「ヤマトが好きだから」だけに限定してしまうと、どうなるか。

想像してみてください。

自分の中に「批判しない奴はヤマトファンじゃない」という、極端な排他的思考に行き着く道筋が見えてくるはずです。

 

では、私達はどうすればいいか。

今日書いたような「好き」と「嫌い」の感情を、自分の中で整理し、自覚することが大切だと思います。

これについては、明日また、少し補足しながら考えてみようと思います。

少し上から目線な表現になっているきらいもありますが、自戒も込めたということで。