こんにちは。ymtetcです。
先日の記事「『さらば宇宙戦艦ヤマト』とは、『2202』とは何だったのか」のコメント欄で「福井晴敏はなぜ『2202』に参加したのか」という問いをいただきました。
返信にも書いておりますが、これは大変重要な問題です。
ところが少し考えてみると、実は私自身、福井さんその人が『2202』に込めた思いや理念を、正確に把握していないことに思い至りました。
そこで、いくつかの記事を読んでいくと……まぁ福井さん、ご親切にも色々な言い方をしてくれているんですね(笑)。
ということで、順不同にはなると思いますが、様々なインタビューを読んでいくことで、福井晴敏の語る『2202』像をひたすら勉強していきたいと思います。これは、その作業ノートです(一応、「シナリオを読む」と並行して行っていくつもりです)*1。
まずは、これからの作業の前提になる話をしたいと思います。
最終章「新星篇」の公開と『シナリオ編』の発売により、『ヤマト2202』は新たなフェーズに進みました。『2202』は、誰にでも検証可能な作品となったのです。
これまで公開されたインタビューに加え、企画メモ(企画書)、構成メモ、設定メモ、各話シナリオ(+『絵コンテ集』)……これらの公開によって『2202』は、以下の五つのレベルから検証し、議論をすることが可能になったと考えます。
- 「企画メモ」レベルでの議論:「愛をテーマに『さらば』をリメイクする」という理念そのもの段階の是非を問う
- 「構成メモ」レベルでの議論:「上記の理念に基づいて全7章26話を作る」というシリーズ全体の構想段階の是非を問う
- 「シナリオ」レベルでの議論:「シリーズ全体の構想に基づいて各話20分の物語を作る」というシリーズ各話の構想段階の是非を問う
- 「絵コンテ」レベルでの議論:「シナリオから各話20分のアニメ作品を作る」という映像化構想段階の是非を問う(例:デザインなどのビジュアル構成も含む)
- 「本編」レベルでの議論:「絵コンテから各話20分のアニメ映像を作る」という映像具体化段階の是非を問う(例:作画のクオリティなど)
あまり複雑に考えることはありませんが、皆さまそれぞれの興味関心がどの点にあるのか、自分が抱いた「好き」「嫌い」の感情の根本はどの点にあるのか、といったことを考える上では、一定程度役に立つ枠組みなのではないかと思います。
そして、この「【作業ノート】福井晴敏の『ヤマト2202』語り」で進めていきたい議論は、概ね1.「企画メモ」レベルでの議論です。
では、作業の指針となる問いを立てましょう。
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは何だったのか?
──シリーズ構成・福井晴敏の語りを中心に
今日はこちらのインタビューを取り上げます。
『2202』第7章の公開日に出された記事で、直接的な第7章のネタバレに踏み込むものではありません。これからの劇場公開に向けた宣伝、そんな狙いが見えますね。
(略)
「昔のものをリファインするなら、昔のものにはかなわない。あれ以上、うまくできない。残っているものには意味がある。今のご時世にそのまま出すことはそもそも無理。だとすれば、『さらば』が当時、訴えていたものを解体する。『さらば』と『2202』の両方を見た人が、今の時代はこうなんだ……と、違いの中に今が見えるような作りになれば、意味があるのかな?と考えていました。
(略)
「愛という言葉は男女関係の愛として捉えられることが多いのですが、それよりもヒューマニズム=人間性ですね。人間性が今くらい危機に陥っている時代はない。AIなどもあり、自分たちから人間性を振り捨てようとしている。ヒューマニズム、愛が現代的なテーマになるという確信があった。『さらば』のように、純粋な思いを守るために死んでもいい……ということではない。人間性で神を屈服させるという話です」
(略)
「最後は『2202』で語ってきたことが集約される。ヒューマニズムを守るために何をしたか?です。『2202』はこれまで悲しいことばかりでしたが、最後に奇跡を起こすためにやってきたことだった」
(略)
「『2202』は今のところ最新の決定版ですね。『ヤマト』は第1作から考えると、戦艦なのに反戦という矛盾がある作品。それを真正面から受け止めた。受け取る人が100人いたら、受け取り方は100通りあると思いますが、全部やってやったぞ!という気持ちです」
(略)
(宇宙戦艦ヤマト2202:今、愛を描く意味 最後は… 福井晴敏、羽原監督に聞く - MANTANWEB(まんたんウェブ))下線はymtetc
この記事における福井さんの『2202』語りのポイントは、下線を引いた3点にあると思います。以下に列挙すると、
といった風にまとめられます。
一点目、『さらば』が訴えていたものを「解体」し、『2202』(2015~2019年)を通じて*2、『さらば』(1978年)との時代の違いが見えるように描く。これは、今までブログでも取り上げてきた内容に近いと思います。”『宇宙戦艦ヤマト』は時代を映し出すものである(そうでなければならない)”、という福井さんの「社会派作家」的な『宇宙戦艦ヤマト』解釈を反映させた志向と言えますね。
あるいは二点目、愛をヒューマニズム(人間性)として描き、肯定する。これもよく分かると思います。『2202』の本編を見て真っ先に感じるテーマですね。
問題は三点目です。再引用します。「『ヤマト』は第1作から考えると、戦艦なのに反戦という矛盾がある作品。それを真正面から受け止めた」。
この発言をどう見るべきでしょうか? 非常に難しい問題だと思います。
何故ならば、このような表現は「企画メモ」や「構成メモ」には使われていないからです。それなのに福井さんは「真正面から受け止めた」と胸を張る。
最初に注目したインタビューで、福井さんはとんでもない爆弾を投げてくれました。
今回のまとめ
福井さんの真意が気になるところですが、ひとまず今回の内容をまとめておきます。
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは何だったのか?
今回読んだインタビューから読み取れたのは、以下の三点です。
第1点と第2点に関しては、おおよそ実感と符合するものでした。
が、第3点をどう見るべきか。
実は、今日は3本くらいのインタビューを読んで記事をまとめる予定だったのですが、この第3点について考えていたら、他の記事をまとめる時間がなくなってしまいました。
「戦艦なのに反戦」という「矛盾」は『宇宙戦艦ヤマト』を語る上では定番のフレーズですが、『宇宙戦艦ヤマト』と『2202』(≒福井晴敏)のコラボレーションを語る上ではどうでしょうか。
私としてはパッと見、「戦艦なのに反戦」という「矛盾」が『2202』のどこかに盛り込まれていたようには思えません。
ただ、もう少し考えてみると、この「戦艦なのに反戦」を「戦争に反対するのに武器は捨てない」と読み替えてみれば……そんな角度から考えてみることなら、不可能ではないと思いました。これは次回、4日更新の記事でまとめていきます。
書けたらいいですね(他人事)。