ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】福井晴敏が『ヤマト』をやる理由

こんにちは。ymtetcです。

今日は前回の「福井晴敏の『ヤマト2205』語り パート2」を踏まえた記事です。

リメイク・ヤマトに対する批判意見として、一つに「これを『ヤマト』でやる意味はあるのか」「自分の新作でやれ」というものがあります。出渕さんの頃からそうですし、福井さんに代わってからも、そうした批判はどうしても出てきます。

ただ、実際のところ、『2199』にせよ『2202』『2205』にせよ、『ヤマト』新作であると同時に、クリエイターとしての出渕さん、福井さんの新作でもあると思います。

今日は福井さんに限定して、「福井さんはなぜ、自身の新作を『ヤマト』にするのだろう」を、商業的視点以外から考えてみましょう。

福井さんは、『2205』に際してこのように述べています。

宇宙戦艦ヤマト』であるからには、人間への賛同の意を示したい。

これはつまり、福井さんが「ヤマトらしさ」を「人間への賛意」、すなわちヒューマニズムにおいていることが分かります。

この姿勢は初期から一貫しており、『2202』企画書でも、

”は決して無力でも、凶器に転じる危険な言葉でもない。過酷な現実と折り合い、時に修正を促すための力――ヒューマニズムの極致として、我々一人一人が強く意識していかなければならない、それこそ生物学的な本能として与えられた力なのだということの再話。自らが語り、自らが壊してしまったメッセージを再び語り得た時、ヤマトの真の復権が為されるものと確信します。

「愛」=「ヒューマニズム」の肯定は、『ヤマト』が自ら「語り」「壊してしまったメッセージ」なのだと語っています。

このような視点にのっとって、福井さんは、

悲しいことがいっぱいある時代だけど、人間ってそんなに悪くない

というメッセージを核とした『2205』を作ったわけです。福井さんにとっては、一貫して、『2205』もまた「ヤマトらしい」作品だと言えます。

 

さて、このことを踏まえると、『ヤマト』を「シニア向け」と位置付ける福井さんの発想にも、主張の一貫性が見えてきます。

以前、福井さんの「シニア向け」発言を取り上げた際には、

40代~60代はアニメや実写で、ニーズとして置き去りにされている世代

との福井さんの言葉を引用しました。

ここには商業的観点も含まれていますが、ここでいう「ニーズ」とは、

宇宙戦艦ヤマト』をコアで支えてくれているファンの方は人生でいろいろ経験をしている世代ですし、いろいろなことが覆される経験もしている

との発言を踏まえると「人生でいろいろなことが覆される経験もしている」世代の「ニーズ」だと考えられます。

つまり、福井さんにとって『宇宙戦艦ヤマト』とは、

人生でいろいろなことが覆される経験をしている世代に向けたヒューマニズムのドラマであり、アニメ界で見過ごされているニーズに応えられる作品」だと言えます。

ここに、ある意味で、福井さんが『宇宙戦艦ヤマト』をやる理由、福井さんにとっての”自身が手掛ける意義”の一端が込められているのではないでしょうか。