ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

#3『宇宙戦艦ヤマト2199』を観る

こんにちは。ymtetcです。

ネットフリックスを経由して『宇宙戦艦ヤマト2199』第3話を観ましたので、そのメモ書きを公開します。

アバン・オープニング

テレビ版特有のアバンタイトル(旧作の例に倣ってか、土方竜役の石塚運昇さんが担当されていましたね)、そしていわゆる「合唱版」の主題歌。”テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』”を象徴するこの二つのオープニングが、第3話から定着してゆきました。

オープニング映像は、出渕さんがコンテを担当された後半の部分において、先行上映版から編集の変更が見られました。特にラストの「宇宙戦艦ヤマト」の「戦」「艦」の部分で出渕さんは古代と雪の動きを重ねていたのですが、そこが変更されました。

当時はこれに違和感を覚えていた私ですが、今観ますと、この編集はこの編集で悪くないのかなと思います。もちろん、「ヤマト」の部分で沖田をクローズアップした先行版の方が、『2199』の文脈としては正しい編集なんですけれどね。

Aパート

第1話、第2話で度々私が話題にしてきた「旧『ヤマト』風か、現代風か」という論点が、Aパートにも見え隠れします。「夕日に眠るヤマト」が流れている部分には、若干の迷いがまだ残っているように感じました。

ただ、このシーンにも言えますが、宇宙戦艦ヤマト自身を色々な角度から映し出そうとする工夫は、『2199』のアニメーション作品としてのクオリティを高めていると思います。『2199』を通して見られる工夫ですよね。ともすれば単調な画面作りとなってしまう『宇宙戦艦ヤマト』の問題点を、カメラワークで打破しようとする試みです。

また、ワープでは「お約束」のサービスショットが登場しました。ここに限りませんが、正直、『2199』の作風でサービスショットが必要だったのかどうかは未だに疑問が残ります。

Bパート

3話Bパートは『宇宙戦艦ヤマト』史に残る名パートです。

導入の音楽は「探索機発進」、これに続くのが「月のクレーター」で、旧作でもお馴染みの音楽が続きます。が、これまでの『ヤマト』にはなかったようなカメラワークとテンポの良さ。樋口真嗣さんの技が光っているとも言えますね。『新生・宇宙戦艦ヤマト』を印象付けるには十分すぎる、Bパートの導入です。

キャラクターの動きとしては、真田の「古代くん」の一言でガラッと空気が変わります。アナライザーや遠山らの登場でヤマトクルーの描写の幅が一挙に広がり、相原と太田の掛け合い、加藤のコミカルな表情でぐっとクルーの人間性の幅が広がる。『2199』がここにきて初めてその緊張感を緩めたシーンでもあり、キャラクター相互の関わりがここから生じるようになるわけです。アニメーション作品としての幅を広げる、『2199』としてはひとつの画期となったのがこの3話Bパートでしょう。

この一瞬の「緩み」(クルーの緩みではなく、作劇としての「緩み」)から、敵艦の出現で一挙に「敵宇宙船の出撃」が流れ、戦闘シーンへ移行。この緩急も素晴らしいものがあります。

そして、伝説が生まれます。

ここまで第3話は、カメラワークやテンポで目新しさを出しつつも、あくまでファンにとってはお馴染みの音楽にお馴染みの効果音。そこに来て突然の新曲、しかもヤマトモチーフの新曲が流れる! 心憎い構成です。

私はこの『宇宙戦艦ヤマト2199』第3話Bパートが、『宇宙戦艦ヤマト』という作品を新たなステージへと進めた回であると信じてやみません。

ヤマト音楽史を変えた「ヤマト渦中へ」の登場、誘爆しないガミラス艦。

誘爆は『復活篇』に至るまでシリーズの「お約束」でした。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズが、この『2199』の戦闘シーン描写において新たな一歩を踏み出した、その象徴的シーンだと私は考えます。

まとめ

3話Bパートに対する愛着には、かなりのものがあると自負しています(笑)。

『2199』は当時、「あっさりしすぎている」との批判を受けました。特に、ワープテストと波動砲試射を結合させたこの第3話は槍玉に上がることもありました。

確かに、例えばもっと「欲しがって」、キャラクターの心情を描きながら一歩ずつ、じっくりとひとつひとつのエピソードを「置き」にいくという選択肢もありました。あるいはキャラクターの心情に拘るクリエイターならば、「地球を≪ゆきかぜ≫のようにしたくはないな」というセリフから逆算して、物語を組み上げた可能性もあると考えています。その方がストーリーとしては「重厚」で『ヤマト』的、とは言われたかもしれません。

ですが一方、現代のアニメーションとしてはどうなのか、と、私はずっと『2199』を振り返りながら考えています。むしろ第3話でさえ、第1話や第2話のように大仰すぎる印象すら受けるんです。

そしてやっぱり、どこか「お約束」や、クリエイターと古参ファンの共通言語みたいなものがバックグラウンドに流れているんですよね。”面白いのかは分からないけどこれは外してはいけないイベントなんだ”という雰囲気が漏れてしまっているような。そういった印象すら抱きます。

『2199』が『ヤマト』初見となったアニメファンは当時一定数はいたことと思いますが、果たして第3話まで付き合うことができたのだろうか? と考えてしまいます。彼ら彼女らは、良い意味でも悪い意味でも「ああ、往年の名作なんだな」という”重み”や”負荷”のようなものを感じていたのではないでしょうか。

この辺りのバランスは大変難しく、正解はありません。非常に抽象的な話になりますが、この問題は改めて整理してみたいと考えています。

 

 

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2020年7月18日

すべてのクリエイターが、二度と不当な暴力によってその心身を傷つけられることのないよう、これからも考えてゆきます。

ymtetc

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