ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

未完成の過去記事を処分する

こんにちは。ymtetcです。

今日は26日に公開予定だった記事を公開します。また、次回から『ヤマトという時代』に関する記事を2本ほど追加予定ですので、こちらもよろしくお願いします。

さて、私は「これから書く」記事を日々下書きにメモしてきたのですが、それがあまりにも溜まりすぎたことで、いつの間にか「もう書けない」記事も増えてきました。

ただ消すのも勿体ないので、今日は未完成記事にコメント(正真正銘の「書き言葉」でいきます)を添えながら、概要を公開します。

未完成記事を処分する

  • 「(無題)」(2019年2月)

いきなりタイトルなしの下書き。本文中には「『2202』は原作が映画なのでそれを踏襲するとテレビには不向きになる」と書いてある。最近では「『2202』は『2199』の公開形式には向いておらず、テレビの方がむしろ向いていた」との議論も目にしたので、微妙なところ。没。

  • 「『作品がつまらないのは愛がない』論に対する嫌悪感」(2019年2月)

愚痴系の記事。本文中には「その作品がつまらないのは、その作品がつまらないからである」と書いてある。「愛があれば面白い作品になるわけではない」と言いたかったらしい。現時点では根拠に乏しいため、没。

  • 「ヤマト2202『新星篇』の泣きポイント」(2019年3月)

『2202』最終章の感想記事。決して”つまらなさすぎて泣けました”的なイヤミではない。「死と祈り」「キーマン」「古代進は地球を救ったぞ」「ヤマト復活!」とだけメモしてある。特に最後の「ヤマト復活!」は、大嫌いだった最終決戦仕様が最終話で元に戻ったので安心して泣いてしまったという話。今更書くような話題でもないので、没。

  • 「作劇上の『引っかかり』について」(2019年3月)

よくわからない。「『2202』は観客の気を引くためにワザと『引っかかり』を作っている」みたいな話か。「引用:新聞」とメモしてあったので『ヤマト新聞』を見たがよく分からなかった。よく分からないものは書けないので、没

  • 「2202流『人類最後の希望』」(2019年3月)

これはわかる。私が繰り返し書いてきた「人類最後の希望」論を『2202』に当てはめてみよう、の企画だ。これについては「2202の宇宙戦艦ヤマトは「人類最後の希望」となったか? - ymtetcのブログ」で記事化しているため、消しておく。

  • 「人が愛を持つ限り」(2019年3月)

本文中には「人が愛(想い)を持つ限り、人の生涯に意味はある=2202のテーマ」とメモしてある。これは「『ヤマト2202』における「人間性」の「矛盾」 - ymtetcのブログ」として記事化しているため、消しておく。

  • 「『縁』とは何か。」(2019年3月)

『2202』総括系記事の一つ。本文中には、タイトルに対する答えとして「人間の感情(=愛)が連鎖して結ぶもの」とある。なるほど、『2202』が公開されていた頃に投稿できていれば意味はあったかもしれないが、今はかなり浸透してきている考え方なので、没。

  • 「『悪魔の選択』の意味」(2019年3月)

 『2202』総括系記事の一つ。本文中には「大切な何かを失わせる⇒失う悲しみ・失う恐怖を植え付ける⇒死を受け入れさせる」とある。なるほど、ズォーダーの視点から見た「『悪魔の選択』の狙い」を書こうとしたらしい。今更な話題なので、没。

  • 「(無題)」(2019年4月)

無題。本文中には「続2199に対する『出渕が関わるなら観ない』と、続2202に対する『福井が関わるなら観ない』は、作品の出来に対する不満からの意見だという点で同じ。だが、続2202に対する『小林が関わるなら観ない』は重く捉えるべき」とある。なるほど、福井さんに対する批判と小林さんに対する批判は性質が違う、と言いたかったらしい。既に『2205』で小林さんが外されているので、没。

  • 「(無題)」(2019年4月)

無題。本文中には「2202=『愛』を普遍的かつ重層的に描いた」とある。『2202』の総括記事だったらしい。今更なので、没。 

  • 「レビュー試作:『さらばのその先』に全てをかけた意欲作」(2019年4月)

『2202』の総括記事。当時「レビューが書きたい」と思っていた記憶があるが、どうも挑戦していたらしい。本文中にもそれなりに頑張った形跡があるが、概ね、今年4月~6月あたりにいくつか書いた『2202』総括系と内容が重複している。「良作」「傑作」あるいは「駄作」ではなく「意欲作」としているあたりに、『2202』に対する私ymtetcのスタンスが透けて見える。

 

ここまでは、ブログ更新を中断する前に用意していたメモ。

ここからは、ブログ再開に向けて準備していた頃のメモ。

 

  • 「2199は2202に乗っ取られてしまいましたね」(2019年9月)

タイトルがそのまま内容を指している。『2205』のスタッフ布陣は「復活篇組の離脱」を除いて『2202』路線の継続だった。『2199』が1から始めたシリーズなのに、いつのまにか『2202』がシリーズの主導権を握っている。その虚しさを書きたかったらしい。

  • 「『2202』にケリをつけよう」(2019年10月)

一つ上の下書きから発展した記事。ほぼ完成している。『2205』が「『2202』の続編」なら、いっそのこと『2205』でも『2202』チームを徹底的に評価してやろうじゃないか。そんなことを書いている。

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以上が、未完成のまま処分することになったアイデアたちです。

なぜ溜まってしまったのかと言えば、それは書き方に問題があります。

私は日常の中で浮かんだ「書きたい」を下書きにメモをして、新しいものから順番に記事化する方法をとっています*1。つまり、短期間でアイデアが浮かべば浮かぶほど、過去のアイデアが埋没する構造になっているのですね。特に、ブログ更新というアウトプットをしていなかった期間のものが、随分と溜まってしまったわけです。

しばらくは、古いアイデアから記事化するようにしてみます。もちろん、『ヤマトという時代』や『2205』の新しい情報が出てきた場合、あるいは『Λ』の最新話に関しては、そちらを優先します(まさに今回の例)。ですので、時たま「え、今この話題?」的な記事も出てくるかもしれませんが(笑)、そちらもいつものようによろしくお願いします。

また、せっかくなので、完成している記事「『2202』にケリをつけよう」を投稿してみることにします。内容的にはブログ再開後に書いてきたものと重複しているはずですが……。そのあたりも加味して、こちらは明日29日の12時に投稿することにしましょう。まぁ書き上がっているものをただ消すのも、もったいないですからね。