こんにちは。ymtetcです。
『2205』のクオリティは本気で心配してます(何かを見た)。心配しても仕方ないのですが
— ymtetc (@ymtetc) 2021年4月23日
今日はお休みをいただきますが、このツイートについて少し書いてみます。
「何かを見た」とはネット上の定型句です。自分が見たものをぼかしたい時に使います。
とはいえ、今回のケースは隠すものでもありません。私が見たのは、前回の記事でも取り上げた、『2202』のあるスタッフのツイートだからです。
彼のツイートの趣旨は「メカがかっこいいのは『2202』まで」「(今回――恐らく『2205』もしくは『ヤマトという時代』のこと――は)修正しようとしているけどダメそう」というもの。修正の対象はメカ描写だけでなく、脚本にも及んでいるようです。
この構図を見ると、私を含めて『2202』のメカ描写にいまいち馴染めなかった人の立場からすれば「彼が批判しているならいいじゃないか」と思ってしまいそうになりますが、事態はそう単純ではありません。論者としての彼は『2202』の熱心な擁護者ですが、『2199』の熱心な批判者でもないのです。むしろ『2199』の頃は、『2199』を擁護する立場をとっていたのです。
すなわち、彼が批判する=『2199』的、ということにはなりません。さらに言えば、彼が批判しているからといって、素晴らしいものになるということではありません。少なくともプラスに考えることはできないので、私は不安になった。ただそれだけの話です。
ところで、私はツイートでは『2205』と書いているのですが、彼のツイートを調べてみると、どうやら『2205』ではなさそうな面も見えてきます。
というのも、彼は「『2205』には参加していない」とツイートしているのです。とすれば、彼が取り組んでいるのは『ヤマトという時代』の方かもしれません。実際に、大和復元に関するイメージボードを書いたとの投稿もありました。
なお、『ヤマトという時代』そのものは1月に公開を予定していたものですから、既に完成しているはず。おおかた試写会で色々と意見が出たので、公開延期の時間を使って色々と取り組んでいるのでしょう。この辺りがどうでるかは、不安もありつつも楽しみですね。