ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】「今を生きる」ことの肯定【3199へ】

こんにちは。ymtetcです。

今日は、以前ツイートしたこの考え方をベースに、『2205』のテーマ「”今を生きる”ことの肯定」と、『ヤマト3199』に向けた展望を書いていきます。

〇『ヤマト2205』のテーマ「”今を生きる”ことの肯定」

『2205』は、「儀式」によって得られる永遠の命を「救済」と呼んだ古代イスカンダルと、それでは「救われない」とするスターシャを対比することで、(二度と訪れない不可逆的な)「」を生きることの重要性を訴えました。一方、地球やガミラスに対し「を生きることしか知らないお前たちには理解できない」と語るデザリアムも、永遠の命を「救済」と呼んだ古代イスカンダルによく似ています。

このように、『2205』は徹底して、「今を生きる」ことに反対する勢力を悪役として、「今を生きる」ことを肯定するスタンスをとったと言えます。

〇『ヤマト2202』における『2199』の思想と

さて、『2205』から『3199』への展望を書く前に、『2202』と『2199』について今一度整理しておきましょう。

異星人への相互理解と波動砲の封印を一つのテーマとした『2199』に対して、『2202』は異星人への不信感が「恐怖」にかわり、それが波動砲艦隊の整備につながり、そして地球の軍人たちが「心」を失っていく様を描きました。

一方『2205』は、『2202』のラストで人々が選んだはずの明日への希望、あの国民投票の結論が現実社会にそぐわない様子を描きました。あの選択が誰かの生活を脅かし、果ては地球の主権を脅かす側面さえ持っていることを指摘したわけです。

〇『ヤマト2205』から『3199』へ

このような前作と次回作の関係性を見る限り、『3199』と『2205』の関係も似たようなものになるかもしれない、との考えが浮かんできます。

そして、その場合、問われる可能性のあるテーマとしては、「今を生きることの大切さ」という『2205』の一つのテーマでしょう。

『2205』が限りある人生の中で「今を生きる」ことを肯定したのに対して、『3199』はデザリアムを通して、限りある人生のデメリットを指摘する可能性があります。人生はこんなに嫌なこと……例えばたくさんの悲しい別れがある、とする可能性です。

ここで重要なのが、デザリアムがイスカンダルを「闇」と呼んでいることです。我々からすると、「今を生きる」ことを否定し「永遠」の中に生きている(らしい)デザリアムと古代イスカンダルは似ているように思えますが、デザリアムにとってイスカンダルは「忌むべき」存在。すると、デザリアムの作る「永遠」とは、イスカンダルの作る「永遠」よりもずっと、正しく見える「永遠」である可能性があります。

「今を生きる」ことを肯定できない現実の中で、敵であるデザリアムの提唱する「永遠」が、とてもよいものに見えてくる……そんな展開を描ければ、『2205』のテーマ「”今を生きる”ことの肯定」は、また一つ揺さぶられるのではないでしょうか。