ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

思考を整理する:映画『ヤマトという時代』

こんにちは。ymtetcです。

〇はじめに

「ヤマトより愛をこめて」特集の記事より、マインドマップをブログの執筆に導入しました。

マインドマップとは? 意味や書き方、厳選ツール8個を公開

基本的には執筆の上での工夫なので、記事のデザインが変わるわけではありません。ただ、書き方が変わることで、内容が変わる面もあるだろうと思います。上手くいくかは分かりませんが、色々やっていきます。

今回はカテゴリー「「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択 カテゴリーの記事一覧 - ymtetcのブログ」の記事を取り上げ、これまで考えてきたことを整理していきます。マインドマップを使いこなすための練習のようなものですね。過去記事で書いたことをあまり整理してこなかったことが、私の弱点にもなっていました。マインドマップの導入が、その克服につながってくれたらいいな、と思います。

問いは、「映画『ヤマトという時代』はどのような物語になるのか」でいきましょう。

〇公式が提示するキーワード

映画『ヤマトという時代』については、既に公式サイドからいくつか提示されたキーワードがあります。そろそろ届く『ヤマトマガジン』では、ここにまた新たなキーワードが加わっていくことになるでしょう。

さて、公式サイドから提示されているキーワードは大きく二つに分けることができます。一つは「(歴史)ドキュメンタリー映画、もう一つは「宇宙叙事詩です。

この二つはよく似ている言葉ですが、ニュアンスは微妙に異なります。

「(歴史)ドキュメンタリー」の場合、求められるのは史実性の高さです。その場合、客観的で、劇中世界の「事実」に基づく描写が求められます。

一方「叙事詩」の場合は、物語性がより求められます。その場合、物語としての魅力的な脚色を行う上では、時に「事実」とは異なる表現も必要になってくるわけです。

この点については、また記事を改めようと思います。

〇ymtetcの考え

以上の公式キーワード、あるいはPV・予告編を踏まえて、私はこれまでいくつかの記事を投稿してきました。改めて整理すると、記事のテーマは大きく6つに分けられます。

一つ目は、映画を「『2205』の前座」として捉えたものです。

映画『ヤマトという時代』は「愛」をテーマにしていません。とすればこれは、『2205』で新たなテーマを提示するための土壌づくり、と見ることができます。もしも『2205』が新規ファンの動員を目指すのであれば、『2199』と『2202』に対する(『2205』のための)フラットな視点を提示する『ヤマトという時代』は、格好の”地ならし”になるでしょう。『2205』からヤマトに乗り込んでくる新キャラクターと、『2205』で動員される新規ファン(存在するのかは分かりませんが)の目線が揃うからですね。

二つ目は、映画を「歴史ドキュメンタリー」として捉えたものです。

この映画は、「人類」と「社会」の歴史から「宇宙戦艦ヤマト史」を物語る映画。それは、いわば『2199』と『2202』世界の”世界史”における「宇宙戦艦ヤマト史」の語りであり、「世界」「人類」といった、『2199』も『2202』も持ち得なかった大局的な視点をシリーズに与えてくれる映画になるでしょう。またここから「妄想」として、「2190年代」を現実の1990年代のメタファーとして描くのではないか、との話もしました。その根拠は、福井さんが「苛酷な時代」の起点を1991年に求めていることにありました。「妄想」の是非はともかく、「苛酷な時代」が1991年に始まることは注目すべきと考えます。

三つ目は、映画を「”宇宙戦艦ヤマト”の再定義」として捉えたものです。

この映画には戦艦大和が登場します。それも1945年ではなく、2145年に登場します。それは劇中世界が戦艦大和を必要としていたことを示すものです。「妄想」では、この時の「戦艦大和ブーム」が後のBBY01「宇宙戦艦ヤマト」に繋がったと位置づけられるのではないか、との話もしました。また、映画のキャッチコピー「世紀を越え、希望の光を灯し続けた伝説の艦」は、戦艦大和をも含む言葉なのではないか、とも考えました。この映画は、『2199』に欠けていた(≒『2199』が意図的に盛り込まなかった)「宇宙の戦艦大和」としての「宇宙戦艦ヤマト」像を、現代風に再構築する映画なのかもしれません。

四つ目は、映画と『2199』の関係を考えたものです。

『2205』に向けては、玉盛さんたちが「『2199』スピリットへの回帰」を述べています。『2202』では『2199』との乖離が批判点であったことを考えると、これからの『ヤマト』には『2199』的なメカ・SF描写も増えていくのではないでしょうか。これは『2199』ファンにとってはポジティブな風向きかもしれません。しかし、別の見方をすれば、この映画を通して『2199』は、福井さん・皆川さん・岡さんといった『2202』チームによって再解釈されることにもなります。皆川さん、岡さんは『2199』への造詣が深いスタッフですが『2199』スタッフではありません。この点が熱心な『2199』ファンの心にどう響くのかは、まだ予断を許さないところがありますね。

五つ目は、スタッフへの要望です。

『2202』では、明らかにスタッフ間で共通認識を欠いていた部分がありました。石津さんのあずかり知らぬところで巨大化されたガミラスの戦闘空母、あたりは典型例でしょう。アニメーション作品では避けられない面もありますが、殊に総集編の場合は携わるスタッフが相対的に少ないわけです。共通認識をもって、SF・歴史・脚本・メカのバランスをとっていてほしいと思います。

六つ目は、内容面の細かな予想です。

先日公開された予告編で、真田が「選択」を語りました。この映画が「真田の選択」として波動砲を再び論じるならば、それは『2205』で再び波動砲が語られる可能性もあることを示唆するものです。この点は、『2205』の動向にも関わって重要だと考えます。

〇おわりに

「映画『ヤマトという時代』はどのような物語になるのか」。

予想しながら公開を待つのが、これからの振舞いになってくると思います。近日に届くであろう『ヤマトマガジン』によって、予想は大きく進展するはずです。その意味では、ここで整理する機会を持てたことは結果的にはよかったかもしれません。

最後に、現時点までに考えてきたことをまとめておきましょう。

映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』は、『ヤマト2205』の前座として、『2199』と『2202』を「人類」と「社会」の歴史に着目して再構成した歴史ドキュメンタリー風の映画です。

この映画には戦艦大和が登場するため、「宇宙戦艦ヤマト」の名と形そのものの再定義が行われる可能性があります。また、最近しばしば語られている「『2199』スピリットへの回帰」が反映されることも考えられ、その点においては期待が持てます。しかしながら、『2199』に無関係だったスタッフの『2199』新解釈が提示されることで、一部の『2199』ファンが作品に対してさらなる反発を見せるリスクも看過できません。

『2199』をリスペクトしつつ、『2202』からシリーズに関わってきた自分たちなりの『宇宙戦艦ヤマト』を表現するバランス感覚が、この映画のスタッフには求められるでしょう。