こんにちは。ymtetcです。
今日は、旧シリーズにおける『新たなる旅立ち』の立ち位置と、『ヤマト2205』について考えていきます。
まずはこちらをご覧ください。
昭和54年
□1月、劇場映画第3作目を前提として、「テレフィーチャー・宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」の製作に着手。ヤマト第二世代ともいうべきファンから、もう古典となってしまった「宇宙戦艦ヤマト」よりも第3作目の映画が見たいという要望が強く沸き湧きあがり、「ヤマト2」の反省を込めて、第3作目の劇場映画を製作することを決意した。その前にヤマトの第一世代と第二世代を調和させるための新たなる展開と、意思統一を図ろうと、「新たなる旅立ち」が企画された。
(『ヤマト完結編』パンフレット「宇宙戦艦ヤマト ミニミニ年譜」より)
これは『ヤマト完結編』のパンフレットに掲載されている「ミニミニ年譜」からの引用です。旧作・『完結編』時における公式の『新たなる旅立ち』に対する考え方が、ここから伺えます。「もう古典となってしまった『宇宙戦艦ヤマト』よりも第3作目の映画が見たい」など、興味深い記述が見られますね。
ファンの要望だったとされている「もう古典となってしまった『宇宙戦艦ヤマト』よりも第3作目の映画が見たい」とは、第1作『宇宙戦艦ヤマト』や第2作『さらば』『ヤマト2』では物足りない、新作『ヤマト』が見たい、ということかと推測します。
ただ、「『ヤマト2』の反省」はよく分かりません。これも推測ですが、『ヤマト2』が『さらば』の拡大版であった(完全新作ではなかった)ことの反省や、『ヤマト2』がテレビシリーズであったことに対する何らかの反省があったのではないでしょうか。
さて、興味深いのは「ヤマトの第一世代と第二世代の調和」と「意思統一」です。すなわち、ヤマトファンが複数の世代にまたがっていたので、「新たなる展開」で仕切り直そうというのです。
確かに『新たなる旅立ち』は第2作のガトランティス戦の直後から始まり、舞台は第1作でお馴染みのイスカンダル・ガミラスで、作品が終わる時にはイスカンダルもガミラスも消滅しています。まさに原点回帰と再スタートを図った作品だと言えます。
これは、リメイクシリーズの『2205 新たなる旅立ち』にも同じようなことが言えるのではないでしょうか。
作り手が『2199』と『2202』にどこまでギャップを感じていたかは分かりませんが、『2205』はどこか、『2199』と『2202』の調和、ひいては『2199』ファンと『2202』ファンの調和を図った作風が見て取れます。『2199』と『2202』を調和させることで、単純にファン層の拡大を狙うことができるメリットがあります。
また、他にも狙いがあると考えてもいいかもしれません。
西﨑彰司さんは、これからのヤマトのミッションとして、リメイクシリーズの完結を挙げています。リメイクシリーズが完結に向けて動き出すのであれば、今後の作品は「このシリーズをいかにして決着させるか」から逆算していく可能性もあります。そのために、『新たなる旅立ち』で一旦仕切り直す。『2199』と『2202』を調和させつつ、仕切り直して新しい物語(完結に向けた物語)を展開できるようにする。それが、『2205』の一つの狙いなのかもしれませんね。