ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

ファンコミュニティの持つ息苦しさ

こんにちは。ymtetcです。

最近ネットを見ていると、『2199』や『2202』を振り返る書き込みが増えているように思います。むろんそれは、『2199』『2202』の大規模なサブスク配信が始まったことと無関係ではありません。

かくいう私も、『2199』や『2202』を振り返る書き込みが増えています。

ところが、この二つの作品を振り返る時、私はどこか息苦しさもおぼえているのです。今日はこのことについて、考えていきます。

私が息苦しさをおぼえている理由は実にシンプルです。

それは、作品を振り返る時、「私がその作品をどう観ていたか」だけではなく「ヤマトファンがその作品をどう観ていたか」が脳裏をよぎるからです。これに尽きます。

例えば、前述の『2199』第9話もそうです。

実は公開時、『2199』は第三章・第四章で一時的に評価を落としていました。その理由も明白で、それは旧作との乖離が激しくなったからです。ことに第三章は、古代進の背負っていたドラマが山本玲に割り振られたこともあり(それは第二章からですが)、また第二章や第四章のような戦闘シーンのスペクタクルがなかったこともあって、評価を落としていました。

そのような背景もあり、私にとって『2199』は、どこか「一部のファンが言うほど悪くない作品」として認識されていったのです。これが、私の息苦しさの正体です。

つまり、私にとって『2199』は「自分の好きな作品」であると同時に、「一部のファンに怒られた作品」であり、「一部のファンが言うほど悪くない(と私が思っている)作品」でもある。これは、『2202』にも全く同じことが言えます。

「『2199』は(『2202』は)よかった」と、胸を張って言えない現実があるのです。

さて、ここまで読んでくださった人の中には、「それってあなたの責任じゃない?」とお考えの方もいるのではないでしょうか。すなわち、自分からそういったファンの意見を読んでいたのだから、仕方ないではないか、と。

それは全くその通りです。私も、誰かの意見を変えようとしているわけではありません。『2199』や『2202』を批判してはいけないとも思いません。

これは『ヤマト』や、ヤマトファンの問題では必ずしもないのです。より一般化して考えるならば、「ファンのコミュニティに深く入り込もうとした行動の代償」

例えば、先月記事にした『のんのんびより のんすとっぷ』は、

ymtetc2.hatenablog.com

一部のファンから「物足りない」と指摘されています。これに対する反論は「言うほど悪くない」「原作が」「一期だって」。

他作品でも、『ヤマト』と似たような状況が生じているのです。ファンのコミュニティに入り、作品のよさを語り合うことそれ自体はとても楽しいのですが、入り込めば入り込むほど、こうした息苦しさに巻き込まれるリスクも高くなると言えます。

作品のよさを語り合うことを楽しみながら、息苦しさも回避する。そうしたファンを増やすためには、いわゆる「濃い」コミュニティの外にまで広がる作品を作ることが効果的です。

これについては、『シン・ゴジラ』が好例でしょう。いわゆる『ゴジラ』ファンの中には、あの映画を快く思っていない人もいたようです。しかし、『シン・ゴジラ』は従来の『ゴジラ』ファンの外にまで広がる作品であったために、いわゆる『ゴジラ』ファンに声をかけずとも、作品のよさを語り合うことができました。

宇宙戦艦ヤマト』も、そうした作品に少しでも近づくことができれば、この息苦しさも少しは解消されるのかな、と、漠然と期待をしています。