ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト完結編』がシリーズ入門編になり得る可能性

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事で「一人一人の『今いちばんおもしろいヤマト』が入門編の最適解だ」と述べました。すると、以下のようなコメントをいただきました。

SunYoh様は『2199』だけでなく『完結編』もいいのではないか、と示唆されています。私の頭の中には全くなかった『完結編』ですが、考えてみると意外に(?)面白いチョイスなのではないかと思いました。今日はそれについて書いていきます。

さて、SunYoh様は『完結編』のオススメポイントとして、「ビジュアル」と「音楽」を挙げておられます。これには私も同感です。映像的には、手描きアニメの味わいと、手描きならではの映像美の両方が盛り込まれていると思います。また音楽についても、宮川泰羽田健太郎の豪華なサウンドが並んでいます。これだけでも、『完結編』はオススメするに足る作品ではないかと思います。

『完結編』を入門編とするメリットは他にもあります。先に挙げておくと、

  • 巻き込まれ型の冒頭シーン
  • 沖田の復活による「台無し」感の軽減
  • 良くも悪くも「ヤマトらしい」要素(自己犠牲、愛、女神)

あたりです。

まず、『完結編』の冒頭は『ヤマト』にしては珍しく「巻き込まれ型」です。ナレーションがあり、平和な時間があって、危機が訪れる……といったシリーズ特有の流れがなく、いきなりヤマトがピンチを迎えます。ヤマトの目的は銀河中心部の調査であり、ディンギルとの出会いと敗北は宇宙の災害に巻き込まれた結果に過ぎません。

「巻き込まれ型」のメリットとして、視聴者を物語に「巻き込み」易いことが挙げられます。ガルマン・ガミラスやボラー連邦といった知識は後からつけてもらうとすれば、『完結編』の冒頭は「巻き込まれ型」として十分、初心者を巻き込んでくれるのではないでしょうか。

次に、沖田の復活による「台無し」感の軽減が挙げられます。第一作の感動・感慨を台無しにしたと言われる沖田の復活。でも『完結編』が初見ならば関係ありません。もちろん筋として無理はありますが、感情として「ガッカリ」とはならないでしょう。そうすれば、古代との疑似親子のドラマや沖田のヤマトへの想いといった、沖田の復活によるメリットを強調することができます。多少無理はあれ、初心者を惹きつけうる可能性は十分にあるのではないでしょうか。

最後に、『完結編』が良くも悪くも「ヤマトらしい」作品である点が挙げられます。『さらば』以降強く肯定されていく自己犠牲と愛は、『完結編』の頃には観客も呆れ気味であったと聞きます。しかし、これが初見ならば関係ありません。少々古典的な、自己犠牲と愛のドラマを味わってもらえばいいのです。特に『完結編』は、古代と雪の恋愛あり、古代と島の友情あり、大介と次郎の兄弟愛あり、古代と沖田の親子愛ありと、バラエティに富んでいます。その上で、自己犠牲と愛のドラマが展開されていきます。また、女神が登場して説教をするのも『ヤマト』では定番ですが、だからこそ悪くありません。

このように、実は『完結編』には、『ヤマト』ならではの要素がいくつも盛り込まれています。それが長いとはいえ一本の映画にまとまっているのですから、入門編としては悪くなさそうです。シリーズのラストから観始めるのも、「現代から学ぶ歴史」みたいで案外悪くないかもしれません(笑)。

他にも、「古代地球人が地球に攻めてくる」構図はSFでは定番中の定番なのでとっつきやすい、といったメリットがあります。褒めているのかいないのかは分かりませんが、実は旧作で私が最も繰り返し観た作品が『完結編』である、という事実もあります。それはきっと『完結編』が、ある種の「ヤマトらしさ」を一本の映画に詰め込んだ作品だったからなのかもしれません。