ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【休】『リズと青い鳥』方式で新作を生み出すと…【これからの宇宙戦艦ヤマト】

こんにちは。ymtetcです。

今日はお休みです。

 

先日来、「タイトルから『宇宙戦艦ヤマト』の縛りをなくす」との話をしています。『響け!ユーフォニアム』における『リズと青い鳥』方式のスピンオフ、というわけです。

リズと青い鳥』は、『響け!ユーフォニアム』のもつ「北宇治高校吹奏楽部の物語」という一面を敢えてカットして、希美・みぞれという二人のキャラクターに焦点を当てました。『ヤマト』でいえば、「宇宙戦艦ヤマトの物語」の一面をカットして、特定のキャラクターのエピソードを描くイメージです。

リズと青い鳥』は、二人のキャラクターを(多くの人が人生において経験する)「高校三年生」として一般化して描きました。とすれば『ヤマト』も、同じように、多くの人が人生で経験する何らかの時期を描けば、より普遍的な物語になると言えます。

しかしここで、一度立ち止まる必要があります。果たしてその作品は、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズで描く意味のある作品なのか?

普遍的な人間ドラマを描くのであれば、別に『宇宙戦艦ヤマト』の世界観である必要はありません。むしろ、『ヤマト』の世界観であることは雑音になるかもしれません。

そうすると、『宇宙戦艦ヤマト』の世界観で描くべきは、この世界観でしか描けない物語である、との主張も成り立ちそうです。ですがそれは、結局は旧来の作品に負んぶに抱っこな、保守的な作品に繋がる。

前回までの記事で作品づくりの自由度について述べましたが、もしかしたら、タイトルの縛りをなくしても、自由度は依然として低いままなのかもしれませんね。

 

とはいえ、保守的なアプローチであっても革新的な印象を与える方法はあります。それが、私がかねてから主張している「らしさ」です。

既存の作品から、世界観やメカ、キャラクターといった具体物ではなく、作品のもつ魅力・抽象的な「らしさ」を抽出し、それを普遍化した上で、新しい『ヤマト』を作り出す。

このアプローチができれば、本質は既存の作品のリメイクであっても表面上は新作である、といった形で、新作に変化をつけることができるのではないでしょうか。