ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】私の好きな「続編」

こんにちは。ymtetcです。

今日は私の好きな「続編」について書いていきましょう。

〇私は「続編」が好き

私は「続編」が好きです。

シリーズ作品を評価する時に、最も評価されるべきはシリーズを構築した第一作である。それは頭では理解しているのですが、どうしても、私は「続編」が好き。

スターウォーズ』シリーズであれば『エピソード5』と『2』が、『シュタインズ・ゲート』シリーズであれば『劇場版』や『ゼロ』が、『響け!ユーフォニアム』シリーズであれば『2』が、『のんのんびより』シリーズであれば『りぴーと』が、『宇宙戦艦ヤマト』であれば『2』が好きなのです*1

そして宇宙戦艦ヤマト2199』シリーズであれば……『2205』が好きですね。

では、なぜ私は「続編」が好きなのか。なぜ、『2205』は私の好きな「続編」なのか。なぜ『2202』は、私の好きな「続編」ではなかったのか。

今日はこのあたりを考えていくことにします。

〇なぜ私は「続編」が好きなのか。

なぜ私は、シリーズを構築した偉大な功労者であるはずの第一作ではなく、「続編」が好きなのか。

それは私が、キャラクターに注目して作品を観ているからです。

宇宙戦艦ヤマト』がそうであったように、続編が作られるような第一作は、基本的にはストーリーが面白い作品になっています。

ここでは『シュタインズ・ゲート』を例にとりましょう。

ストーリーだけを抽出すれば、『シュタインズ・ゲート』第一作のストーリーは後に大ヒットした『君の名は。』と似たような構成、むしろ観る人によっては上位互換的なので、とにかく話は面白いです。

一方、第二作の『シュタインズ・ゲート ゼロ』は、ストーリーだけを抽出すれば第一作よりも複雑化しているため、シンプルかつ大胆な第一作のストーリーには及びません。ただ大きく違うのは、キャラクターの描写が格段に、第一作とは比べものにならないほど深まっている点です。それこそシーンごとの表情にまでこだわって、『シュタゲ ゼロ』はキャラクターを描写しています。

ではなぜ、第二作はこのように、キャラクターの描写を深めることができるのでしょうか

それは何もないところから世界観を構築しなければならない第一作に対し、第二作は、第一作を知る観客に向けて、第一作の世界に新しい物語を付加した作品であることに起因します。

つまり第二作、「続編」は、既に世界観が構築されているために、その世界を生きるキャラクターの描写に注力できる。そこが、キャラクターに注目して作品を観る私が、「続編」を好きである理由だと考えます。

〇なぜ『2205』は私の好きな「続編」なのか

私が『2205』を好きだと感じるのは、それこそ、『2205』はキャラクターの描写に注力した作品だったからです。

『2205』が用意周到なのは、2013年に完結した『2199』、2019年に完結した『2202』を踏まえた作品を世に問うにあたって、2021年に、作品世界を再構築した『ヤマトという時代』を出し、さらに『2205』上映前に、作品の思想をリフレインさせる「これまでの『宇宙戦艦ヤマト』」を流しているところでしょう。

この『ヤマトという時代』と「これまでの『宇宙戦艦ヤマト』」の二つによって、私たちは『2205』の前提となる、シリーズの世界観と思想*2を復習することができています。その上で、『2205』が始まるわけです。

そして、実際の『2205』は、前回の記事「【ヤマト2205】発進シーンに見る作品の”色”」で述べたように、小さく細やかなキャラクター描写を積み上げていく作風。その物語は、土門竜介と古代進の出会いの物語として、

「なぜやる前に相談しない。こっちは経験者だぞ」

「はい!」

の形で完結していくわけですから、とても気持ちがいい。

そして何より、この過程で『2202』までのシリーズが作り上げてきた古代進像が、より一層深まってもいます。これこそまさに、私の大好きな「続編」です。

〇なぜ『2202』は私の好きな「続編」ではなかったのか

私は『2202』好きではありましたが、他シリーズの第二作や続編のように『2202』を愛せていたかというと、そうではありません。

その要因は『2202』にあった古代進のドラマを、『2199』の古代進のドラマが受け止めきれなかったことにあると考えます。

『2202』で福井さんが古代進に与えたドラマは、”『2199』の残した価値観である「相互理解」「波動砲は使わない」を揺さぶる敵が現れて、葛藤する”というものでした。

ですが、この『2202』のドラマの重さに対して、『2199』の古代進に対するドラマは深掘りが足りません。すなわち『2199』は、古代にとって「相互理解」とはどんなものか、「波動砲を使わない」価値観がどんなものなのかを、あまり重視して描いてはいませんでした。ゆえに『2202』は、改めて、古代にとって「相互理解」や「波動砲を使わない」価値観がどんなものであるかを描く必要があったのです。

これは『2202』目線からすれば「『2199』の深掘りが足りないぞ」となりますが、『2199』目線からすれば「そんな続編を作るなよ」となるので、やはりそもそも論として、スタッフを交代したのはあまりいい手ではなかったのかな、とも思いますね。

いずれにしても、『2202』は自分の描きたいドラマに対して『2199』のドラマが「足りない」状況に陥ったため、自分自身がドラマの第一作としての役割を果たさなければならなくなりました。その点において『2202』は「第一作」的であり、「続編」としての側面が希薄になってしまった。だから私は『2202』を、他の作品の「続編」のようには愛せなかったのだと思います。

〇おわりに

もしも出渕さんが『2199』の続編を作っていたなら、私は『2199』シリーズの第二作を、他のシリーズ作品と同じように愛せていたでしょう。福井さんが作った『2202』は、『2199』と連続する話として成立しているものの、やはり拭えない断絶はあるのだな、と改めて思いました。思えば『スターウォーズ』シリーズの『8』を私が愛せていないのも、同じような理由でしょう。

その意味で、(私自身はもともと福井さんの続投には反対だったのですが)福井さんが『2202』から続投し、岡さん皆川さんサポートのもと、『2199』『2202』の積み重ねを活かして深めることに注力した『2205』は、とてもいい作品だなと思いますね。

 

 

*1:『さらば』は事情があって、大人になってから観ました。

*2:ここでいう思想は出渕さんのものではなく、福井さんのものですが……