こんにちは。ymtetcです。
『ヤマト2205』の魅力は、すぐ終わったことだと考えています。前後編のテンポの良い展開が、濃厚なドラマと歯切れの良い演出にマッチして、まとまった映画を作り出していました。
一方、『3199』のような全26話だと、第七章までに間延びのリスクがあります。だからこそ、最終章は別の映画と考えて、二章ごとの前後編×3本として、構成してはどうか。そんな記事を以前書きました。
しかし、よく考えると『ヤマト2202』が既にそうだったことに気づきました。
例えば、第1、2章が序章です。
テーマは「抵抗と現実」。理想に駆られて地球を飛び出したヤマトクルーですが、バレルや山南など、現実を知る大人たちの手によって救われながらテレザートへ旅立ちます。前向きな物語である一方、バレルの政治的策略による航海やラストシーンの絶望感など、ヤマトの先に待ち受ける苛酷な現実を予感させるものでもありました。これは、一つのまとまった前後編だと見なしても良いのではないでしょうか。
第3、4章のテーマは「波動砲」です。波動砲の使用を決意した7話から、古代と斉藤の対立を描く第10話、「全員で背負う」という現実を受け止めるための答えを見つけ出す13話まで、と考えれば収まりがいいですよね。なお、14話は次章へのプロローグだと考えます。
第5、6章のテーマは「人の心」です。手段を選ばずしてガミラスを救おうとするデスラー、任務と愛着の間で揺れ動くキーマン、決断する加藤。そして藤堂早紀の物語へ続いて、人間讃歌で幕を閉じます。なお、第22話は次章へのプロローグだと考えます。
このように、『2202』は二章ごとに一定のまとまりを持っていたのではないでしょうか。旅立ちの1と2、波動砲の3と4、人の心=愛の5と6。そして集大成の7章でグランドフィナーレ。
仮に、これを福井さんが意図的にやっているとすれば、『3199』も同じような構成である可能性は高くなります。また、意図的でなくとも、ただ「面白い」「まとまった」構成を目指したらこうなった、のだとしたら、2クールのヤマトを構想する際に、一つの道標となるのではないでしょうか。