こんにちは。ymtetcです。
ついに本日、『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』後章「STASHA」が公開されました!
冒頭14分の続き、私は今夜、どこかの劇場で鑑賞する予定です。
○私と『ヤマト2205』
さて、『2205』後章が公開、ということは、すなわち『2205』は完結、ということでもあります。初めてこのブログで取り上げてから、およそ2年半にわたる「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」の旅路でした。『ヤマト2202』の時は長丁場な議論につかれていたのか、一丁前にポエム的な記事を寄せてみたのですが(笑)、『2205』は学びや価値、議論以上に、ただただ楽しい作品でした。この2年半、とくに『2205』前章が公開された昨年10月からは、ひたすらに楽しい時間を過ごすことができました。
この一点だけでも、『2205』には感謝するほかありません。
そこで今日も楽しく、『2205』後章がどんな立ち位置の作品で、私はどんな点を楽しみにしているかを書いていきます。
○「大人・古代進」の物語として
後章冒頭では、『2205』のもう一つの”軸”が明らかになったと思います。それが、理想を信じている若者と、現実を受け入れている大人です。そして、かつて「理想主義者」とまで言われた古代進が、そんな「大人」になりつつある点が、後章の冒頭で示されました。
冒頭の作戦会議シーンで、一連の波動砲作戦について語る古代進は、おおよそ『2202』の古代進が絶対に言わないであろう言葉を続けて発していました。「星間常識に照らして、あらゆる反攻手段が容認される」。デザリアムを撃つことも、ガルマリオを撃つことも本意ではないはずなのに、この古代進は現実を受け入れているのです。
一方、新主人公である土門竜介の姿勢ははっきりしています。「スターシャさんたちも(救う)」。誰も見捨てないこの姿勢は、まさに『2202』までの古代進そのもの。
とはいえ、古代進もあくまで古代進。一連の波動砲作戦には「責任は全て俺がとる」として背負い込もうとします。古代進は古代進のまま、大人になりつつあると言えそうです。
これから古代進は、「大人」になって現実を受け入れてもロクな目に合わない、そんな経験をするのではないでしょうか。まさにデスラーがそうであったように、現実世界がそうであるように、です。このように考えた時、福井さんのいう「古代進の魂の復権」が重要になります。いかにして、『2205』は古代進を現実の荒波から救い出すのか。この点は、『2202』の続編としても注目しておきたいと思います。
○人類の「新たなる旅立ち」として
さて、もう少し視野を広げてみると、『2205』全体には「悲しい出来事の後には幸せな出来事がある」というキーフレーズが流れています。薮のセリフだけではなく、主題歌「愛は今も光」にもありますね。
そして主題歌はこう述べています。「そんな寓話を真実に変えましょう」と。
悲しい出来事が続く世の中でも、その先に幸せがあると信じ続けること。それはまさに、『ヤマト』がこれまで掲げてきた「明日への希望」そのものです。後章は、そんな「明日への希望」をどのように提示するのか。この点は注目してもよいでしょう。
そして、「明日への希望」があれば、どんなに悲しい出来事が続いても、現実が嫌になったとしても、明日へ向かって一歩踏み出す勇気を持つことができる。そう考えれば、「明日への希望」を描くことは、『2205』のサブタイトル「新たなる旅立ち」にも繋がってくるのではないでしょうか。
○新シリーズの第一作として
さらに、作品の外に目を向ければ、『2205』以降、リメイクシリーズは「大河路線」に突入することが明かされています。要は、長期シリーズ化するということです。
その言葉と対応するように、『2205』は続編『3199』を前提に作られた、と福井さんは述べています(ホビージャパンのインタビュー)。
これまでリメイク・ヤマトは、続編を前提に新作を作ることはしてきませんでした。『2199』も『方舟』も『2202』も、基本的には単体で完結するように作られています。その意味で、『2205』は、「続編を前提に作られた初めてのリメイク・ヤマト新作」だと言えます。
ゆえに『2205』は(今日完結するとはいえ)、新シリーズの第一作でもあるわけです。
福井さんの長期政権となったリメイク・ヤマトが、これからどこに向かうのか。その指針を示してくれる作品にもなるでしょう。
○期待はほどほどに
とはいっても、期待しすぎると怖くなるのが私の常です。古代進の物語として、「新たなる旅立ち」として、新・リメイクヤマトの第一作として。
期待する部分はありますが、最も大切なのは、90分の中でどこまで一つの作品としてまとめ上げてくるかでしょう。
今日はある程度冷静に、劇場へ向かいたいと思います(笑)。