私的宇宙戦艦ヤマト2202論 その3 ―「前期2199」―
この投稿で三日坊主は打破ということになります。勲章ですね。
今回から、2199を前期と後期に分けて振り返ろうと思います。
なぜこのような分け方をするのか? といいますと、ズバリ、
「前期」と「後期」で性質が異なるから、です。
当たり前ですね。
とはいえ「前期」「後期」という区分が果たして正しいのか? という問題は、これを提唱する私自身も、書き進めながら問い直さなければならないでしょう。
その点については棚上げすることにして、2199をこのように区分して、何をしたいのかをまず初めに述べておきたいと思います。
それはまさに、
(製作側はどういう狙いがあったかは定かではないが、結果として私の目の前に現れた)2199は「前期」と「後期」に分けられる。2199を振り返る際に語られることが多いのは「前期2199」であるが、2202が想定する”前作”2199とは「後期2199」のことであり、2202と2199の間のギャップは、「前期」において比較的大きく「後期」おいて比較的小さい。
という主張が成り立つのかどうかを確かめたい、ということです。
それでは「前期」と「後期」の定義についてここでご紹介します。
- 「前期」:宇宙戦艦ヤマト2199 第一章~第五章
- 「後期」:宇宙戦艦ヤマト2199 第六章~星巡る方舟
以上が、私の考える「前期2199」と「後期2199」の定義となります。
本日は「前期2199」のお話です。
以下にPVを並べてあります。振り返りを兼ねてまずはこちらをご覧ください。
「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章 太陽圏の死闘」 PV 120秒バージョン - YouTube
宇宙戦艦ヤマト2199 第三章 『果てしなき航海』PV - YouTube
『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防』プロモーション・ビデオ - YouTube
『宇宙戦艦ヤマト2199 第五章 望郷の銀河間空間』LongVerisonプロモビデオ - YouTube
第一章~第五章は、テレビシリーズ換算で1話から18話までとなります。その内容の基本ラインは旧作を踏襲しています。旧作ベースで行われたイベントを列挙すると、
- 冥王星会戦
- 夕日に眠るヤマト
- ヤマト発進
- ワープテスト
- 波動砲テスト
- 氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ
- 冥王星基地攻略戦 ※1
- さらば太陽圏
- 願い星
- 機械に心はあるのか(旧作ビーメラ星エピソード) ※2
- ガミラス人との接触・対立・友情 ※3
- ドメルの凱旋
- フラーケンとの対決(ヤマトⅢ)※4
- 永遠のジュラ編+イローゼ ※5
- ドメル対ヤマト(1回目)※6
- 叛乱(旧作イスカンダルエピソード・旧作没エピソード)※7
- 焼き芋回(真田の過去)
- デスラー暗殺・ガミラスの内乱(旧作没エピソード)
※1:白兵戦であった旧作を改変し、山本玲を中心とした航空隊のエピソードとした。
※2:ロボットの恋ではなく、アナライザーとガミロイドの友情エピソードとした。
※3:中心は古代進ではなく、山本玲とした。
※4:古代進と真田の対立を描いた。
※5:精神感応は踏襲したが、ジレル人というオリジナル設定を利用した。
※6:旧作とは異なりドメルと沖田の正面からの対決を描いた。
※7:イズモ計画派という設定を作り、伏線を張った上で行った。
が挙げられます。多くは、旧作の没エピソード等を巧みに組み合わせて作られていることが分かります。
一方、2199オリジナルエピソードと言うべきものを挙げると、第五章まででは
- ユリーシャ・イスカンダル関係(自動航法室・百合亜への憑依)
- 先制攻撃問題
になるでしょうか。
それでは、ここで私の考える「前期2199」の特徴を述べておきましょう。それは、
旧作の基本ラインを踏襲しながらも、新作としての雰囲気が際立っている
ということです。海上自衛隊協力によってミリタリー面での説得力も増し、科学考証も旧作から大きく更新され独自の解釈が用いられています。
画面上にもツッコミどころが少なく、非常にクオリティの高いものでした。
傾向としては、かつて古代進にばかり与えられていた役割、すなわち対立・和解などのドラマを含む主人公としての役割が、山本玲など他のキャラクターにも与えられていたことが挙げられるでしょうか。
沖田艦長を頂点とする<宇宙戦艦ヤマト>の中で繰り広げられる、様々なキャラクターの物語、という点が特徴的だと、当時から言われていましたね。
ここから見えてくる、当初の2199のアプローチは
旧作のストーリーを、現代の作品らしく表現する。
ことにあったのでは、と私は考えています。
そしてこれは2202のアプローチとも異なるものであると。
という訳で、「前期2199」と私が呼ぶ、2199の”順調だった頃”について、振り返ってみました。
しかし地上波放送を機に、そして他の要因も重なって、現場はかなりギリギリな状況を強いられるようになったようです。
”他の要因”が何であるのか、私には論ずることが出来ませんが、このギリギリの状況は「後期2199」そして「2202」に至るまで続き、作品のクォリティを左右していると言わざるを得ません。
次回は「後期2199」を回想しながら、つらつらと語ってまいりたいと思います。