こんにちは。ymtetcです。
リメイク・ヤマトが何のために存在しているかを考えてみますと、シリーズの大目標は「ヤマトの復権」かなと思います。
これは福井晴敏さんが『2202』の企画書で使って以降、私がかなり意識するようになった言葉です。また、実際に言及されているかどうかは別にして、『2199』もまた「ヤマトの復権」という使命をもって作られた作品だったと考えます。
そして『2199』と『2202』は、同じ「ヤマトの復権」という目的を持っていながら、その方法論がまるで違ったと思っています。その方法論の違いが、両作の作風が異なっていた*1ことの遠因なのでしょう。
このお話は折に触れてきた議論ではありますが、今日は「新規掘り起こし戦略の違い」として整理していきます。
<『2199』と『2202』の「新規掘り起し戦略」の違い>
「復権」をどう定義するか?
まずは「復権」とは何かを定義しておきましょう。そもそも『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは、大ヒットで迎えられた第一作と第二作をピークに、内容面でも興行面でも次第に苦戦を強いられていきました。そして『2520』の打ち切り、原作者裁判問題、『新宇宙戦艦ヤマト』問題、『復活篇』問題など、80年代後半から00年代にかけての「冬の時代」を経て、『宇宙戦艦ヤマト』の周囲に残ったのは一部の「ヤマトファン」でした。
そこで、「復権」とは、この「冬の時代」で『宇宙戦艦ヤマト』への情熱を失った人々を取り戻すこと、若い世代を中心とした新しいファン層を獲得することの大別して二つにあると定義します。
リメイク『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの大戦略
すると、『2199』と名付けられたリメイク『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの大戦略は、こうだったと推測できます。
ひとつに、「社会的少数(しかし、今のヤマトにとっては多数)の現行ヤマトファン」を呼び込むことです。まずは、今も『宇宙戦艦ヤマト』への情熱を失っていない人々を満足させなければ、コンテンツとして成立しません*2。
ですが、「現行ヤマトファン」は全体から見れば少数です。おまけに年齢層も高いという現実もありますから、コンテンツとして先が見えてしまっています。
そこで欠かせないのは、「社会的多数(しかし、今のヤマトにとっては少数)のヤマトファン予備軍」を掘り起こしていくことです。「『宇宙戦艦ヤマト』を好きになり得る」存在は、かつて『宇宙戦艦ヤマト』の第一作と第二作が社会現象を巻き起こしたことを踏まえれば、この日本社会に多く眠っていると推測できます。しかもここには、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズを未来に繋いでいくために必要な若い世代も含まれています。
『2199』の当初からリメイクシリーズを追いかけてきた限りでは、私は特に後者の課題(ヤマトファン予備軍を動員すること)が『2199』や『2202』では強く意識されていたと考えます。
しかし、『2199』と『2202』の「新規掘り起し戦略」はその趣が異なりました。それは、「ヤマトファン予備軍」認識が異なっていたからなのではないか。そう考えます。
『2199』の「ヤマトファン予備軍」認識
『2199』総監督の出渕裕さんは、16歳になる1974年に旧作第一作『宇宙戦艦ヤマト』と出会い、そのリアリティを高く評価されていました。
その結果か、『2199』は「ヤマトファン予備軍」を現代のSFファン・SFアニメファン・ミリタリーファンにあると仮定していたように思います。それは、科学とのつながりを強く意識していたSF・科学設定の拡充や、海上自衛隊との連続性を重視するミリタリー設定の拡充に表れています。
それに加えて、現代アニメファンの鑑賞にも耐えうるよう、キャラクターデザインを一新し、声優も旧作、あるいはゲーム版から総入れ替えを行いました。キャラクターデザインはともかく、声優のメンバーとしては概ね近年のトレンドに合っていたと思います。
こうして『2199』は、SF系統のファン、ミリタリー系統のファン、アニメ系統のファンという三者のファンを「新規ヤマトファン」の中核と想定して、彼らを強く意識しつつ、設定・ビジュアルといった旧作『ヤマト』の外観を一新したと推測します。
あくまで"外観の"現代化に止めた点も重要です。『2199』は新しいキャラクターや旧作になかった構成を取りながらも、概ね旧作『ヤマト』に盛り込まれていたテーマを踏襲しました。こうして、かつて社会現象を起こした旧作『ヤマト』の魅力を引き出すことで、『ヤマト』に興味を持ったことのない一般層の掘り起こしにも期待していたと言えます。
『2202』の「ヤマトファン予備軍」認識
では、『2202』はどうだったでしょうか。ヤマトの衰退をリアルタイムで経験した福井晴敏さんのもとで、『宇宙戦艦ヤマト2202』は『さらば宇宙戦艦ヤマト』をリメイクしました。そこでは、「ヤマトファン予備軍」を「かつて『さらば宇宙戦艦ヤマト』を観て感動した観客」と想定していたようです。
その方向性は、『2202』の宣伝に表れています。
公式HPのイントロダクション(INTRODUCTION┃宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち)には「これが混迷の21世紀に送る『愛の戦士たち』だ‼」と記されています。
また、Youtube「BANDAI NAMCO Arts Channel」が配信している本作のPV「ヤマトより愛をこめてPV」では、冒頭の「『2199』から3年」というテロップに続き、「1978年 観客動員数400万人 日本SFアニメ史の始祖 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』 伝説再び」というテロップが表示され、沢田研二の歌声が流れます。
これは、『2202』が既存のファン層として「2199ファン」を想定しつつ、そこにさらに上積みしていくファン層のターゲットとして、「かつて『さらば』を観て感動した観客」を設定していたことの表れであると考えます。
また、福井さんは、若者を含めた「『さらば』を観たことがない新規層」の掘り起こしにも期待していたようです。福井さんは『2202』の企画書でこう述べます。
(略)我々は近作の『機動戦士ガンダムUC』において、やはりニュータイプという形骸化し、以後のシリーズでは顧みられなくなった言葉をテーマに据え、旧ファンのみならず新規ファンの動員にも成功した実績があります。(略)使い古されようが陳腐化しようが、オリジナルが発信した言葉をテーマごと引き受けなければ、一時代を画したその力を取り込むことはできない。(略)
(『シナリオ編』220頁、下線は引用者)
福井さんは、自身の『UC』での「旧ファンのみならず新規ファンの動員にも成功した」という実績をアピールしつつ、「オリジナルが発信した言葉をテーマごと」引き受けることで、「一時代を画したその力を取り込む」ことが必要だと主張します。
ここから、福井さんが『さらば』を単に「白色彗星帝国編」としてリメイクするのではなく『愛の戦士たち』としてリメイクし『さらば』のメッセージを現代風に蘇らせることで、より普遍的な作品となるように考慮していたことが窺えます。
旧作が持っていたテーマを受け継ぎ、旧作が社会に受け入れられたその魅力を引き継ごうとした点においては、『2202』は『2199』と方向性が似ています。旧作が持つ魅力の普遍性を活かす、というアプローチは失敗のリスクも小さく、妥当と感じます。
しかし『2202』には致命的な問題がありました。
それは、何故か設定・ビジュアルを『2199』から一新してしまったことです。もちろん、キャラクターデザインをはじめとした一部のビジュアル設定は引き継がれています。ですが、SF設定・ミリタリー設定やメカニックデザインは『2199』とは全く異なるアプローチがとられました。
その結果、『2202』ファンの中核の一つを担うはずだった「2199ファン」の一部を『2202』は逃してしまいます。『2199』はSFファン・ミリタリーファンを新規層のターゲットにしていたわけですから、彼ら彼女らは『2202』で逃げてしまった可能性が高いと考えられます。また、副監督の小林誠さんを陰の「メカ監督」に据え*3、美術監督が「小林さんのテイストをどう表現するか」(第六章パンフレット)という仕事に徹した『2202』のビジュアルは、『2199』とは全く異なるものになってしまいました。
仮に設定やビジュアルを『2199』から引き継いでいたとして、『2202』の持っていた魅力が損なわれたとは思えません。小林さんのファンを動員できた、というメリットはあるかもしれませんが、コンテンツ全体として見れば、得よりも損の方が大きかったように思います。
ただ、『2202』と『2199』の制作状況は「まるで違って」いたという石津さんの証言もあります*4。設定面については、与えられた人的・時間的リソースに由来する制作環境の違いから見れば、ディテールが『2199』から変更されてしまっても致し方ないかもしれません。
ですが、せめて外観だけでも『2199』を引き継いで欲しかったというのが、ファンの本音でしょう。なにせ、続編なのですから。
それは『2199』ファンとしてだけではなく、『2202』ファンとしても感じるところです。
新作を作れば、どうしても批判は出てきます。ですが、その批判者の中に前作のファンが多かった『2202』は、とてもとても勿体なかったと言わざるを得ません。
*1:そもそも連続性のあるシリーズ作品で作風が違うのはどうなんだ、という議論もありますが。
*2:『復活篇』はここで失敗しています。
*3:2202から「復活篇ぽさ」を感じてしまうのは - ymtetcのブログ
*4:『ヤマトマガジン』第6号、23頁。