昨日はデスラーの話するって言ったじゃん!
と、言われそうですが、今日は予てから用意していた13話のお話をします。
13話の主人公は、やはり古代進とヤマトクルー、だけではなく、ゴーランド親子もそうでしょう。
砂龍狩り=親子・家族を根絶するという「愛に縛られない」ガトランティス人としての訓練を行ったノル君。しかし、親を慕う子を見て涙を流します。
ゴーランドを親として愛し、自らも子として愛されたいという、人間としての気持ち。
ガトランティス人が本来持つ筈のないものを、実は彼らは持っていた、というのがこの13話の一つのテーマです。
一方ヤマトでは、テレザート上陸作戦の最中、ヤマトは波動砲で乗り切ることのできるような、波動砲なくして乗り越えられないような(?)ピンチに陥ります。
土方さんが艦長就任を固辞する中、責任はいつも古代君の背中に。
──古代の気持ちは分かる。だから土方のオヤジが背負ってくれ。
斎藤はそう言います。
そこでキーマンは「ダメだ」と。
──全員で背負え、お前らもイスカンダルまで行ったんだろう。
決意を固めたヤマトクルー達。
そこへ、11番惑星で合流した人々もまた「俺達も背負う」と加わります。
「全員で撃つ!」
波動砲で人を殺すということ。
波動砲を使わず、これ以上多くの人を傷つけないと約束した沖田とスターシャを、裏切るということ。
その重荷は、古代進ひとりが背負うものではない。
イスカンダルへ旅したクルー、テレサに呼ばれたヤマトクルー達。全員で背負うものだ。
こうして、ゴーランド親子は波動砲によって葬られます。
「すまぬ、ノル」
「いいのです」
二人が最後に見せた愛。
そして、無言の古代進が流す涙。
これは、愛を忌避しながら愛から逃れられないガトランティス人の悲哀を描くと同時に、古代進と涙を共有するという仕掛けでもあります。
波動砲を放った先で命絶える人々。
その人達のことを、古代君は思いやれる。
でも、我々観客はそうではありません。
波動砲で、敵を倒した。
起死回生の一撃だ。
すっきりした。
観客は、しばしばそう感じています。
しかし、この時の波動砲は違う。
2202で、初めて人に向けて撃つ。
思えば、木星の浮遊大陸以来でしょうか。
その重みは、分かっているつもりでも、一方で、波動砲を撃ってすっきりする側面も消えない。
だから、ゴーランド親子をあれほどまでに中心に据えて描いたのです。
ガトランティスの設定を逆手に取り、彼らの愛を描き、観客を悲しい気持ちにさせる。
これこそが、劇中の古代進の涙と、我々観客の涙が一体となる為の仕掛けだったと思います。